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自衛隊『俺は遠隔地から国政選挙の不在者投票をしたらしい』

同人誌2015年冬号に掲載した原稿です
著者は「異海洋香奈」名義です


『俺は遠隔地から国政選挙の不在者投票をしたらしい』
異界洋 香奈

登場人物紹介

神馬晴華(じんまはるか)…元看護師。職業不詳。自称“井苅の姉”
井苅和斗志(いがりかずとし)…十数年前に夜学で晴華と出会う。連日飲みに連れまわされていた

前回までのあらすじ

晴華と久しぶりに電話で話をしていた井苅は自衛隊の新隊員教育隊時代に国政選挙の投票へ行ったことを思い出す。
選挙権を持つ新隊員数人は教育隊要員に引率され投票所へと向かうため身だしなみを整え外出準備をする。
その時その様子を眺めていた区隊付き✕✕一曹が「自衛隊に協力的なのは現政権の✕✕党」「誰がどこに投票したかはわかる」と発言。これから投票へ行く新隊員に圧力をかける。
はたしてこれは政府の意思か自衛隊の意思か、それとも✕✕一曹の独断だったのか?
三月末に横須賀市に転入し、住民票の移動三か月未満の新隊員たちが、なぜ六月下旬の国政選挙の投票へ行けたのか?
晴華が「これだから軍隊は嫌なのだよ」と不機嫌になったため、全ては謎のままに井苅は電話を終える。

(前回はこちら…後半部分に選挙の話題が出てきます)



昨今は平日の昼間だと言うのに営業している居酒屋があるので飲兵衛は捗るのである。
長身長髪に真っ赤なワンピースの晴華が安居酒屋チェーン店で飲んでいると当然目立つ存在だ。
対する井苅は小柄で冴えない出で立ちである。
この小男が自衛官としてかつて日本の国防の末端を担っていたとは誰も信じはしないだろう。
いったいどんな組合せだとトイレに立つ酔客は必ずチラ見して行く。
「ところでハルカ姉様、この間の電話の選挙の話なんですが…」
晴華のことを“ねえさま”と呼ばないと井苅は殴られるのである。
親しくなった男とは誰でも寝てしまうと自ら吹聴する晴華だったが、なぜか井苅とは寝る気にならなかったらしい。
なぜだろうなぜかしら。そうか、井苅は弟だから寝る気になれないのだ。
以来十数年、晴華が勝手に決定した『姉弟設定』を井苅は強要され続けているのである。
「ああ?また軍隊の話?」
「いえ、軍隊ではありません自衛隊です。現行憲法上自衛隊は軍隊では無く…」
「下らない言葉遊びはどうでもいいよ。で、もしかしてこないだの選挙の話の続き?」
「さすがハルカ姉様察しがいい。荷物の片付けをしてたらこんなものが出てきました」


「✕✕市の選挙管理委員会?」
「ええ、晴華さんと出会った頃は住民票移さずに東京に住んでたんで、入隊前の住民票はこの✕✕市にあったんです」
「私のことは“ハルカねえさま”と呼べと言っておろうが。キミはいったい…」
「し、失礼しましたハルカ姉様…」
井苅は冷や汗を拭いながら封筒の中から数枚の用紙を取り出す。
そこには「お知らせ」として前住所地で衆議院選挙に投票できる旨が記載されている。
「現住所の市町村で投票希望であれば宣誓書及び請求書を郵送って書いてあるじゃない。書いた?」
「いやあ、それが全く記憶に無くてですね…」
「投票に行ったってことは書かされたのではないのかね?」
「たぶんそうなんでしょうけど…」
残念ながら井苅は投票に至る経緯をほとんど思い出せない。


要は引越し後四か月間は前住所地の選挙人名簿に登録されているので、その間に選挙があった場合は前住所地の選挙区の投票権があるとのことなのだ。
前住所地に赴いて投票するか、それとも現住所地で投票するか選べますよ。
現住所地で投票する場合は期日前投票となり、「投票」は前住所地に郵送するのでなるべく早めに投票して下さいよ、との事らしい。
横須賀市に転入した選挙権のある隊員に各地の選挙管理委員会から同様の封書が届いたので、区隊本部は各人に宣誓書及び請求書を返信させた。
折り返し投票用紙及び不在者投票用封筒が各人に届くので、それが揃い次第選挙権を持つ隊員を投票場所に引率した。
「郵送になるってことは投票日当日に行ったわけじゃないね」
「不在者投票だからもちろんそうですね。おそらく平日だったんじゃないでしょうか」
「これは上からどう対処するか指示があったのだろうね」
「確かに、遠隔地からの不在者投票とかよくわかりませんし、新隊員を選挙に行かせるわけですから」
「しかしちゃんと権利を行使させるのね」
「同じお役所関連ですし、もし投票させないで批判が出たら大ごとになりますからね」
「ああ、そう言うこと。隊員個人のためでなくて組織のためってこと」
一般の隊員ももちろんだが、それ以上に新隊員教育隊所属の隊員は行動の自由が大きく制限されている。
だからと言ってそれにかまけて権利を行使させなかったとなると場合によっては大問題へと発展しかねない。
「だから選挙権持ちの新隊員の投票率が百%と言う珍事が発生したんじゃないかなと思いますよ…と言うか、むしろ百%でなければ現場は始末書ものだったんじゃないかなと思いますよ」
「なんと、投票拒否や棄権は許されないのか?」
「たぶん…」
「個人の権利が制限なく行使できることを証明するために権利の行使を強要するとはどんな北朝鮮ですか」
そう考えると件の✕✕一曹の発言もなんとも組織の意思が介在しているように思えてくるのである。
もちろん公的な指示ではないだろうが、少なくとも中隊レベルで雑談程度に…。
「キミたちは国家の犬に過ぎないが、本来国民の生命財産を守るための捨て駒であり特定の政党や組織の私兵ではないのだよ。自覚したまえ」
そう言うと晴華は煙草に火を点け不機嫌そうに煙を吐いた。



(了)


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