シェルノサージュ、アルノサージュの二作が目指した本質は何だったのか
気付いたら『シェルノサージュ』が6周年を迎えており、「6年……そうか、もう6年かー……」と目からハイライトが消えそうになったので、ここらで一度『シェルノサージュ』及び『アルノサージュ』について書いておくことにした。
「何故今になって?」と思う方もいるかもしれないが、どちらかというと"今だからこそ書かなければ"と感じたのかもしれない。
あまり細かく触れるとネタバレになるし、話の本題からも外れていくので多くは語らないが、『Undertale』や『Oneshot』といった"現実でゲームを遊ぶプレイヤー"というメタ視点を取り込んだゲームが話題となる中で、『シェルノサージュ』と『アルノサージュ』について話している人が少ないなあ(少なくともこちらの観測範囲において0ではないが)と感じたので、あの作品達が発売されてから完結するまでの2年2カ月の体験を残しておかないとと思ったわけです。
そんなわけで前置きも長くなったことだし、改めて『シェルノサージュ』と『アルノサージュ』がどういったゲームだったのかを残しておきたい。
ちなみに前置きどころではなく、以降も長い文章です。
まず『シェルノサージュ』から触れていこう。
物語はプレイヤーのPS Vitaが七次元先の異世界と繋がってしまい、小さな家にたった一人で暮らしている女の子「イオン」と出会う場面から始まるコミュニケーション型のアドベンチャーゲームである。
ヒロインであるイオンはゲーム開始時点で記憶の全てを失っており、自分に関する情報はおろか、今住んでいる家が何処にあるのかすらも把握できていない、非常に致命的な状態に陥ってしまっている。
当然プレイヤーも彼女の記憶や世界についての情報は所有していないので、最初はそういった「お互いの状況の把握」を足掛かりとして対話を行っていくことになる。名前だとか職業だとか、そういう自己紹介的なものだ。
ここで重要なのはプレイヤーはVitaでイオンと連絡を取るが、イオン自身も現在の住居に置かれていた「謎の端末」を用いてこちらと会話を行っている点である。
プレイヤーの視界は端末のカメラが捉えられる範囲のみであり、ゲーム中はイオンを呼んで端末の置き場所を変えてもらわないとろくに移動することもできない。
また、イオンとこちらの世界は時間が同期している為、食事時にゲームを起動するとイオンも家事・食事をしていることがあるし、夜ならばお風呂に入っているか、タイミングが悪ければ既に就寝していたりすることもある。
お互いの生活リズムが噛み合えばスムーズに交流もできるが、最初の頃は「帰って起動したらイオンが起きてきた」「朝起動したら寝るところだった」というすれ違いも珍しくはなく、正直ままならない日々が続いていくことになる。
この辺のもどかしさは『ルームメイト』や『ラブプラス』といった、現実時間と連動していた過去のADVも抱えていた点ではある(ルームメイト再始動待ってます)
しかし、このジレンマこそがこのゲームのストーリーにおいて重要な役割を担っている。当然ながら「イオンの家」があるということは「家の外」という空間も存在するわけであり、そこにはイオン以外の存在が住んでいる可能性も秘められている。
実際、プレイヤーは早い段階でその事実に気が付き、考えを巡らせる事だろう。もちろんそう察したところで我々は自由に行動できないわけだが、代わりにイオンに出掛けてもらい、その時何があったかを世間話として聴く事はできる。
つまり、プレイヤーは操作が制限されているからこそ「イオンとの会話内容」と「カメラから覗ける家の内装」の二点から「彼女の現状」と「世界の在り様」を推測する余地が与えられているのである。
まあ序盤を越えた辺りでイオン以外にもう一人住人がいるのを知ることになるし、その人物からイオンが記憶を失っているのには理由があり、彼女が記憶を取り戻して「何か」を成すことで、崩壊の危機に迫った世界を救済する事ができる、というヒロイックなクリア目標をプレイヤーは与えられることになるのだが。
そこからはイオンの失われた記憶を修復し、その過去を覗き見ることになるノベルパートと、現在のイオンと交流し、関係を深めて(うまくいけば恋人同士やその先にも至れる)いく日常パートを交互に進めていくことになる。
しかしイオンの過去を知れば知るほど、「今イオンが暮らしている場所」はあまりにも彼女の過去とかけ離れた場所だと実感することになるし、彼女がかつて出会い、培ってきた人脈が何故今途切れてしまっているのか、という疑問も膨れ上がっていくことになる。
そうした現在と過去の温度差から、世界の真相を解き明かしていくというのが『シェルノサージュ』というゲームだ。
ちなみに形式としてはオンラインゲームという体を取っており、メインストーリーである過去編(ノベルパート)は定期的に追加配信される形式となっていた。
今は全ストーリー収録した上で、オフライン用に調整された『シェルノサージュOffline』が発売されているので、この段階で「ちょっと興味あるから触ってみようかな」と思ってくれたなら、以降の文章は飛ばして今すぐ『シェルノサージュOffline』を買ってきてほしい。
この先は『シェルノサージュ』と『アルノサージュ』の大まかな概要が書かれているし、詳細なイベントや設定は書いてないが、如何せん感情を残したいおじさんが書いている文章なのでネタバレにはなる。
では、『アルノサージュ』はどういったゲームなのか。
結論から言うと『アルノサージュ』は「シェルノサージュ完結後の物語」であり、しかも「シェルノサージュ完結前に発売された続編」といえる。
ジャンルもRPGとなり、『シェルノサージュ』では徹底して制限されていたプレイヤーの行動が開放され、イオンの記憶の中でしか覗き見ることができなかった七次元先の異世界を旅して巡ることになる。
前述の通り『シェルノサージュ』はメインストーリーを定期的に更新する形を取っていたわけだが、それを全て出し切る前に発売された「公式ネタバレ」というべきものが『アルノサージュ』だ。
もちろん『アルノサージュ』においても主人公はプレイヤー自身だし、ヒロインはイオンちゃんである(ただダブル主人公制なので、もう一組異世界側の主人公とヒロインがいる)
しかも開始時点でイオンは失われた記憶の大半を取り戻しており、『シェルノサージュ』では徹底して秘匿されていた「世界の実態」も瞬く間に判明していくこととなる。
そこにはまだ語られていない『シェルノサージュ』の謎や展開も数多く語られている。本当に文字通りの公式ネタバレである。
まあ、これに関しては『シェルノサージュ』がリリース初期に様々なサーバーエラーやバグといったトラブルに見舞われ、開発が遅延したのも大きかったと思われる。
恐らく本来は『シェルノサージュ』完結後に『アルノサージュ』が発売される予定だったのだと妄想してしまうが、『アルノサージュ』の物語の根幹に「プレイヤーの存在」を置いたことで、奇跡的に演出として機能してしまったので、これに関しては結果オーライ、むしろ「大成功だったのでは?」と感じている。
これがどういうことかというと『アルノサージュ』には『シェルノサージュ』のセーブデータと連動し、そのプレイ内容をフィードバックして一部イベントに変化が起こるというリンク機能が設けられていたのである。
連動せずに遊んだ場合と連動して遊んだ場合とで、具体的にどういった変化が起こるのかについては検証していないので解らないが、少なくとも開発側が「シェルノサージュをクリアせずにアルノサージュを始めてしまったプレイヤー」の存在を想定していたことは間違いない。
物語の中核部分において明確に「シェルノサージュを飽きてやめてしまったプレイヤー」へのメッセージが盛り込まれているからだ。
そう。この部分こそ『シェルノサージュ』『アルノサージュ』が狙ったメタ構造の本質である。
前述した『ルームメイト』や『ラブプラス』を遊んだことがある人なら解ると思うが、毎日コツコツリアルタイム連動するゲームを遊ぶというのは結構骨が折れる。
ヒロインと触れ合うことでプレイヤーが何を思ったか、の感情体験に重きが置かれている分、ゲーム側にはあまり幅を持たせておらず、最初の一週間を過ぎた段階で同じテキストを流し見する作業プレイになってしまうことも少なくはない。
当然『シェルノサージュ』は遊んでいたけど、ストーリーの更新を追うのはやめてしまったので、とりあえず『アルノサージュ』を買うか、と思った人も多いはずだ。
そして、このゲームの物語はそういったプレイヤーの存在すらも想定して痛い言葉を刺してくる。
『アルノサージュ』は記憶を取り戻したプレイヤーとイオン達が、世界の危機と向き合った上で「何をすべきか」を決断し続けていく物語なのだが、その過程においてプレイヤーとイオンの関係性というものが強く影響してくる。
世界を救う上で二人の絆は重要なものであり、クライマックスを迎える前に心の底から理解し合う必要があるわけだ。
同じディレクターの作品でもある『アルトネリコ』シリーズを遊んだことがある人ならここでピンと来るかもしれないが、プレイヤーは最終的にイオンの精神世界に潜り込み、彼女が抱える「本心」と対面し、お互いの本音をぶつけあう必要がある。
そして精神世界の深度(進行度)が深くなればなるほど、イオンの心は牙を剥き「ゲーム」と思って端末に触れているプレイヤーの在り方を否定してくるのである。
「シェルノ飽きちゃった人が、その口でイオンと一緒に世界救おうとしてんの?」みたいな身も蓋もないことを言われる可能性もある。
言われました。はい。メインストーリーは追っていたけど、逆に言うと更新以外は放置してることもありました。指摘されます。はい。
そういった図星を攻撃されまくって色んな意味でグロッキーとなった上で、「それでも」とイオンの心と向き合う選択肢がプレイヤーには与えられているわけだ。
そしてそこに至るまでの行動は、間違いなくプレイヤー自身が行ってきた「選択」なのである。
『シェルノサージュ』を真剣に遊んだ人、途中でやめてしまった人、合間合間に触ってる人、『アルノサージュ』を遊んでまた興味を持った人。
そういった二作品との付き合い方をゲーム側が指摘した上で「それでも」と、プレイヤーの「選択」でエンディングへ収束していく物語なのである。
プレイヤーという存在を主人公に扱った作品では「セーブとロードができる」「電源を切れば世界が終わる」といった形のメタがある種の定番だが、
この両作が突きつけてきたのは、最初から最後まで「その作品(ひいてはイオン)との向き合い方」だったわけだ。
だからこそ「シェルノ完結前に発売されていても奇跡的に成立している作品」なのである。
実際、早い段階で『シェルノサージュ』完結よりも『アルノサージュ』が発売されることは発表されていたので、本当にネタバレやプレイ順を意識するなら、プレイヤーには我慢する選択肢もあった。
しかし、その上で自分は「終わった後の話」を先に見て、「シェルノをどう遊んできたか」を突き付けられ、そして最終的にイオンと共にこの物語に決着をつける選択をした。
ちなみに物語の終わりは異世界との接続の終わりでもあるので、全てと向き合った上でプレイヤーはイオンとの別れも決断させられることになる(正確には希望も残されている)
しかも発売順に遊ぶ場合、「イオンの本心と向き合って別れを決意した後」で、「まだ何も知らないシェルノサージュのイオン」の物語を進めることにもなる。
まあエグい。
でもそれすらも「選択の結果」となるし、この作品の物語はそういったプレイヤーの存在も想定した上で組まれている。
何故ならプレイヤーは端末を通して「異なる時間軸を同時に観測できる」という権限(設定)を与えられているからだ。
プレイヤーは「これから世界にどのような危機と苦難が待ち受けているのか」を知っているし、同時に「自分が最後までイオンを支え続ける」ということも解っている。
そうして『シェルノサージュ』は「記憶を取り戻した上で、本当の意味では何も知らないイオンを送り出す物語」としてエンディングを迎え、同時に『アルノサージュ』も真の意味で完結するのである。
このプレイ体験は恐らくリアルタイムで両作品を追ってきたからこそできたものだと思う。
今なら全シナリオが収録された上でオフライン化された『シェルノサージュOffline』が発売されているので、それを遊びきってから『アルノサージュ』を遊ぶという自然な選択もできるだろう。
まあとはいえ、オフラインになっても『シェルノサージュ』が中々気長なゲームであることは間違いないのだが……。
何れにしても最後まで遊んできた(シェルノを放置してしまったという行動も含め)2年半の体験は、多分アドベンチャーゲームの本質を突いているなとたまに感じることがある。
アドベンチャーゲームは一見「文章を読んでいるだけだからゲームシステムはあまり関係ない」と思われがちなジャンルだが(実際一本道のゲームもあるので難しい所だが)、多くは選択肢という形で物語が分岐するシステムが存在している。
そして、それを選ぶのはあくまでもプレイヤー自身なのだ。その瞬間の思慮や決断、感情にこそ遊びが宿っている。
『シェルノサージュ』と『アルノサージュ』は、まさにその気持ちを強く思い起こさせてくれた作品だと思う。
同時に、あの最初の体験が根強いあまり、二作ともいわゆる二周目を始めることはできないでいる。
今作はメタ構造の物語にしては珍しく「二周目を始めるという選択」について責めてこないタイプだと思うが、それでもあの一周目の経験と選択を大事にしたいなと思ってしまうのだ。
でもそうやって抱えていると何か沈黙したまま沈んでしまうような気もしたので、ネットの片隅の残骸に形として残しておけば、何れどっかでアーカイブとして掘り起こされることもあるだろうとこんな感じで書きました。
サヨナラ!