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有線イヤホンで東京が好きなった話(2024.10.25)

私はいまだに有線のイヤホンを使っている。

ワイヤレスだとすぐになくすとか、
何かこだわりがあるとか、
そんな大層な理由はない。
"まだ使えるから"使っているだけ。

イヤホンだけでなく何でもそうで、
靴は靴底が取れるまで履き続けるし、
お財布だってチャックが壊れて
小銭がしまえなくなるまで使っていた。

ただ、その価値観が変わりかけたターンがある。
それは「東京移住」がきっかけだった。

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東京に移住したといっても
移住先は小さな「離島」。
離島での生活は自由そのもので、
毎日Tシャツジーパンすっぴんで仕事に行っても、
誰にも何も言われることはないのだ。

例え、穴の開いた靴を履いていても
汚れたズボンを履いていても
気にする人はいない。
(度が過ぎたらさすがに気にするけど)

そんな生活に慣れたころ、
私は都内に遊びに行く予定をたてた。

スーツケースに着替えの服を入れ、
替えのコンタクトを入れ、
充電器を入れ、
「あ、そうだ移動時間が長いから
 イヤホンも持っていこう」
と、いつもの有線イヤホンに手をかけた時、
ふと思った。

「もしかして、
 有線イヤホンってもう時代遅れ…?」

と。

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島にいると時代の感覚が分からなくなる。
島での時間はゆっくりだが
都会は絶えず変化し続けるもの。

私が島に移住した当初もすでに
「まだイヤホン有線なの笑」
みたいな風潮があった(ような気がする)。
そこから一年もたてば
今や耳からコードをたらして歩くなど
裸で歩くより恥ずかしいのではないか。

突然芽生えた羞恥心に
なぜか有線イヤホンを握っている自分が
急に恥ずかしくてたまらなくなった。

そして不安に駆られた。
めちゃめちゃ不安に駆られた。
都会で指さされてヒソヒソ笑われた後盗撮され、
ツイッターで
「まだ有線のイヤホン使ってる人いるんだけどwww」
って呟かれる気がするくらい不安に駆られ、
不安に駆られすぎて
慌ててインターネットで
「有線イヤホンは時代遅れかどうか」
のアンケートを取った。

その中には「割といる」という答えもあったし、
「そういえば最近あまり見ないかも」
という回答もあった。
そしてなにより一番多かったのは
「みんなそんなに周りを見ていない」
という回答だった。

—————

私は群馬に住んでいたころ、
東京というものが大嫌いだった。
満員電車はありえない距離感だし、
常に街に人が多いし
ゴミゴミして窮屈で息苦しいし。
何よりみんな流行りの格好をしてカツカツ歩き
ダサい服着た田舎者を見下しているようで、
早くひとりになれる場所に帰りたかった。

だけど、
「有線イヤホンアンケート」により
私が思っているより東京は
よっぽど自由だと分かった。
だって私が
耳からコードをたらしてようがなかろうが、
誰も私のことを見ていないのだから。

有線イヤホンは自由。
有線イヤホンは無限。
有線イヤホンは多様性。

有線イヤホンのおかげで
私は自分の世界を広げることができた。

東京って、こんなにも開放的で
東京はこんなにも、ひとりになれる。

私は翼を授かったかのように有線イヤホンを装着し、
空を飛ぶかのように船に乗り込む。

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しかし
普段音楽など聴かない私は
スマホの“デバイス内に音楽を入れておく”
ということをするはずもなく、
船の中は電波があったりなかったりなので
youtubeの音楽が聴けないし、
念願の東京についたらついたで
地図アプリを起動させるし
電車に乗ったら乗ったで
駅名を聞き逃さないようにしなきゃだし、
結局まともに有線イヤホンを耳にすることなく
予定の一日が過ぎていった。
あれ?私の東京どこ行った?

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でももうそんなことはどうでも良い。
イヤホンをつけようがつけなかろうが
それも自由。
東京では何をしても良いのである。
だって誰も見てないから。

昔はそれこそ主人公になりたかったけど、
今は「通行人F」くらいの
モブキャラを悠々と楽しみたい。
誰かにスポットライトが当たるそのときは
暗闇の中でちょっと鼻の頭を掻いてもいい。
だって誰も見てないから。

今はまだなんとなく
ガチガチに台本を頭にいれて、
みんなの視線にビクビクしながら
自分を演じ切るときもあるけれど、
少し力を抜いて、
モブキャラを演じるくらいの余裕をもって
生きていきたい。

そう
その時もきっと、
私は耳から有線のイヤホンを垂らしているだろう。

2024.11.25

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