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炭火焼が美味しい理由について討論した話(2024.3.4)

この週末、同僚の家の駐車場で
七輪で焼き物をした。

チリチリと音を立てながら
じっくり焼きあがっていく魚を
チビチビ食べながら
「やっぱり炭火は違うね~」
などと言って缶ビールを飲む。

うまいうまいと魚をむしりながら
ちょっと焦げたウィンナーをかじりながら
私はふと疑問に思ったことを口にした。
「ていうか、なんで炭火って美味しいんですか?」

『…』

さっきまでワチャワチャやっていた空間に沈黙が走り
(やばい、なんてマヌケな質問をしてしまったんだ…!)
と焦った矢先

「なんでだろうね?」

という返答が。

「雰囲気?」
「外で食べるからじゃない?」
「みんなと一緒に食べるからだよ」
などと、なんと誰も"美味しさの理由"を知らなかったのだ。

「いや、別にガスでも外で食べられるし、
 一人で食べてもうまいじゃないですか」
と言いながらあれやこれやと仮説をたてるも、
どれも「別にガスでもいける」理由しかなかったので
スマホを取り出し
『炭火 なぜ美味しい』
で検索してみた。

出てきた答えは
水分量がなんたら~~
っていう理由だったのだが
「その答えは違う」
「それはそのHPを書いている企業の
 強みを言っているだけ」
などと良く分からない理由で反論され、
結局のところ答えはあやふやなままその場は終わった。

その後、会話の流れで
「自分は島が大好きだけど、
 なぜこんなに島が好きなのかが自分でもよく分かってない」
というよく分からない議題が持ち上がり、
あれやこれや考えるも
やっぱりそちらも答えが出ず
フワフワとした時間が漂うばかりだった。

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島が好きな理由。
私も改めて考えてみた。

『島の好きなところは?』
と聞かれたときに
『人があたたかいところが好きです』
『自然豊かなところが好きです』
と、答えることがしばしばある。

絶対に嘘は言っていないのだけれど
ただ、
正確にいうと
『人があたたかいところ"も"好き』
『自然豊かなところ"も"好き』
というような感じで
それだけじゃないような気がして
「じゃあ何が好きなの?」
と聞かれたら

『…』

である。

炭火と同じである。

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それからしばらくこの感情について
炭火のようにじっとりと考えてみた結果、
ある一つの答えに辿り着いた。

それは
『理由を断言することが“もったいない”』
のではないだろうか。

「好き」という感情は確かにあるけど
「私は〇〇だからそれが好き!」
と断言してしまうと、
今まで自由にフワフワ漂っていた「好き」が
意思をもって着地して、
ストンッとその場に両足が固定されてしまう、と。

確かにそれはそれで正解なのだけど、
もっと遠くまでフワフワ飛んでいたい
アチコチいろんな可能性を広げていたい
その世界を閉ざしてしまうのがもったいない…
_____というようなことを力説したら

「あー、なんかそれっぽいこと言ってる風で
 なんも言ってないよね」
と一蹴されました。
(トホホ)

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感情を言葉にできないのはもどかしい。
このポヤポヤした感情を上手に表現できたら
どんなに良いだろうと、今まで何度も思ってきた。

だけど
言葉にできない感情を
“言葉にしないままでいる状況を楽しむ”
っていうのも
まぁ、ありなのかな。
なんて

真っ黒こげになったウィンナーを
ジャリジャリかじりながら

(これ、果たして本当に美味いのか?)

などと思った昼の一時なのでした。

2024.3.4

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