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グラン浜田という栄光なき天才

割引あり

日本マットとメキシコマットを股にかけて活躍したグラン浜田さんが死去した

浜田さんは昨年娘の文子がFACEBOOKで重篤であることを報告しており、安否が気遣われていたが、今年1月に退院をしたや先の訃報だった。

自分がプロレスファンを始めた1981年、初代タイガーマスクがデビューして浜田さんは初代タイガーマスクと組んだり、シングルでも対戦していたが、浜田さんはメキシコで華々しい実績があったとしても、新日本プロレスでは新日本プロレスでは一レスラーにすぎす「初代タイガーを引き立てるつもりはなかった」と本人が後年答えていたが、初代タイガーのインパクトの前に、浜田さんは大きく食われてしまった。

当時のプロレスはメキシコのプロレスは低い地位に立たされ、UWAのトップだったエル・カネックすら、新日本プロレスでは扱いが悪かった。そういう状況を浜田さんは「本物のルチャはこんなものではない」苦々しく思っていたという。

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