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日本の女子プロレスを大きく変えたブル中野

6月23日、京都イオンモールで開催された「スーパースター プロレストークバトル」に都合で第2部だけだったが参加、第2部のゲストは今年WWE殿堂入りを果たしたブル中野さんで貴重な話を聞かせてもらった。(司会は小佐野景浩氏)

自分がプロレスファンを始めたのは1981年、女子プロレスの存在も知っていたが、当時自分が在住していた大阪は「全日本女子プロレス中継」はフジテレビの系列である関西テレビでは放送しておらず、UHF局のサンテレビで放送されていたが、不定期放送だったため半年以上前の素材を放送しており、クラッシュ・ギャルズ人気のおかげで関西テレビでもゴールデンタイムでも放送されていたが、短期間で終わってサンテレビでの不定期放送に戻ってしまっていた。

初めて女子プロレスをTVで見た感想は、女子のファンが多かったことで男子が入りこめない空間と印象が強く、アイドルのコンサートを見ている感覚だった。しかしクラッシュ・ギャルズが引退すると、団体のロス症状が起き、全日本女子プロレスもポストクラッシュとして、様々なコンビを売り出していたが、空振りに終わっていた。

その男子が入りこめない空間を大きく変えたのはアジャコングで、当時全日本女子プロレスと提携していたユニバーサルプロレス連盟に参戦するようになってからで、アジャは参戦することで全日本女子に男子のファン層を取り込むようになり、女帝として君臨していたブル中野さんと抗争を繰り広げることで、全日本女子プロレスの路線は大きく変わっていった。

そしてブル中野さんは北斗晶と一緒にFMWに参戦、横浜スタジアムという大舞台で、FMW女子の代表だった工藤めぐみとコンバットト豊田に完勝、試合後もマイクで「ブル中野と北斗晶の試合、もっと見たければ全女に来い!」とマイクアピールしたことで大きなインパクトを呼んだことで、大会の主役を大仁田厚からかっさらい。週刊プロレスの表紙にも飾った。

アジャもアイドル路線の全日本女子プロレスを大きく変えた立役者でもあったが、ブル中野さんもその一人、改めてWWE殿堂入りに相応しい人であることを感じさせた。

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