棚橋弘至と永田裕志の一つの集大成
新日本プロレス佐倉大会で、永田裕志プロデュース興行「Blue Justice XV ~青義出立~」が開催された。メインイベントでは、主役である永田が棚橋弘至、矢野通、ボルチン・オレッグとタッグを組み、成田蓮&裕二郎&SHO&金丸義信のHouse of Tortureと対戦した。
試合は矢野が捕まる展開となったが、交代を受けた永田が成田にエクスプロイダーを決め、さらにナガタロックIIからの白眼式腕固めで一気に流れを引き戻す。
最後は、棚橋と永田がサンドウィッチ延髄斬りでアシストし、ボルチンが金丸にカミカゼを決めて3カウントを奪取。本来なら永田がフィニッシュを取る場面だったが、ボルチンの将来性を見越してあえて譲ったような形となった。
試合後、棚橋が「愛してま~す」、永田が「ゼア」と声を上げ、会場を締めくくった。この二人の関係性は、「伊賀プロレス通信」でも投降した通り。棚橋がエースを目指す過程で最初に立ちはだかった壁だったのは永田で、ファンの支持も根強かった。
永田が支持された理由は。、新日本プロレスの暗黒期と呼ばれた時代、新日本プロレスのエースとなった、アントニオ猪木の格闘技路線の影響で傾きかけた団体を支え、時にはIWGPヘビー級王者でありながらMMAに駆り出され、ミルコ・クロコップに秒殺されるという屈辱も味わい、ファンから戦犯扱いされるなど苦難の連続だったが、ファンはその永田の苦労を見たからこそ支持があり、棚橋はユークスからエースとして推されていたこともあって支持を得られなかった。
棚橋は一度は永田にIWGPヘビー級王座を奪われたものの、その年のG1を制した棚橋がIWGPヘビー級王座を奪還に成功、この頃には新日本プロレスの安定を見せていたこともあり、暗黒期を脱していったが、棚橋vs永田の一つの時代の転換期でもあった。
自分が棚橋と永田のIWGPヘビー級選手権を最後に生で観たのは、2011年12月4日の愛知県体育館。この試合も30分を超える熱戦だったが、結果は棚橋の勝利に終わり、永田は王座を奪取することが出来なかった。しかし翌年、新日本プロレスはブシロード体制へ移行し、オカダ・カズチカの台頭が始まった。オカダが棚橋を破りIWGPヘビー級王座を奪取することで、新しい時代が幕を開けた。この愛知での棚橋対永田の試合も、ユークス時代の新日本プロレスの集大成であり、一つの終幕だったのかもしれない。
そして、現在、棚橋の引退ロードが始まったことで、これから多くの集大成が見られるだろう。その中で永田との集大成は、棚橋にとって引退ロードの一幕であり、多くの節目の一つに過ぎない。
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