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なぜ世界タッグ王座は作られたのだろう?

新日本プロレス「WORLD TAG LEAGUE2023」の優勝決定戦は、後藤洋央紀&YOSHI-HASHIvsヒクレオ&エル・ファンタズモによるIWGPvsSTRONGタッグ王者同士の対戦となり、40分に渡る激戦の末、後藤&YOSHI-HASHIの毘沙門が優勝し、前人未到の3連覇を達成した。

そして1・4東京ドームでは両チームで再戦することになり、互いのベルトをかけてのダブルタイトル戦になることが決定した。

IWGPタッグも歴史が長いが、STRONGタッグも本来海外用なれど、日本でも防衛戦をすることで認知されてきたことから、自分もこの際だからIWGP世界ヘビー級王座があるように、IWGP世界タッグ王座も誕生させた方がいいと考えている・

だがこれを受けて思うところが出てきてしまった。全日本プロレスの世界タッグ王座はなぜ誕生したのだろうか、元々全日本プロレスには日本プロレスから引き継いだインターナショナルタッグ選手権というものがあったのだが、1984年に突然PWFタッグ王座が新設され、4年後に統一されて世界タッグ王座が誕生した。なぜPWFタッグ王座が作られたのか全く不明で、PWF会長だったロード・ブレアース氏も、PWF設立にあたり、ジャイアント馬場さんに設立を進言したが、馬場さんはインターナショナルタッグ王座を重視したのか、ブレアース氏の意見は退けられてしまった。

いつか「プロレスヒストリア」でも世界タッグ王座のことを書きたいが、PWFタッグ王座誕生の経緯は、馬場さんが亡くなった以上、永遠の謎になりそうだ。

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