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四天王プロレスとは何か?、完全決着という時代が求めたプロレス

割引あり

最近、Xでこういう投稿を眼にした
「四天王プロレスの頃に出していたジョニーエースのコブラクラッチスープレックス、スティーブウィリアムスのデンジャラスバックドロップ、小橋さんのハーフネルソンスープレックスとか、ガキの頃にスゲェ!と思いながら見てたけど、今見るとよくケガ人出なかったなと思うよ。今見たら怖いもん」
確かに四天王プロレスラーの頃の全日本プロレスの選手や参戦外国人選手は受け身が上手いのは分かるよ。だけどそれはそれ。これはこれ。その代償で体を壊した選手が多いしなぁ。四天王プロレスの後期なんかノーTVマッチでもタイトルマッチ級の試合をしていたし、そりゃ体はぶっ壊れるよなぁ」

また以前、昨年こういう投稿を見かけた。「スターダムのなつぽいが首を負傷して欠場したのは、四天王プロレスのせいだ。四天王プロレスこそ否定されるべきだ」というものだ。自分はなつぽいの場合はコンディションに問題があったと説明したが、投稿者は自分の説を曲げず、三沢光晴ら四天王プロレスを否定すべきだ、プロレスから抹消すべきだと主張し続けた。

四天王プロレスとは、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太の四天王が競い合って生み出されたプロレスだが、初めから大技を繰り出していたわけではない。しっかり基礎から始まり、応用へと移って激しい攻防が展開された。しかし、それはただの潰し合いではなく、「こいつなら受けきれる」という信頼関係が最低限のモラルとしてあったことで出来たプロレスでもあった。

四天王プロレスに限界が見え始めたのは、1999年1月の大阪で行われた三冠ヘビー級選手権である三沢光晴vs川田利明戦だった。挑戦者の川田は、王者の三沢に垂直落下式パワーボムからの垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪い、王座を奪取したが、この試合で川田は腕を骨折して救急搬送された。三沢や川田も疲弊し始めており、これまでのような激しいプロレスが難しくなっていた。また、四天王プロレスの次の世代だった秋山準も「四天王プロレスのような試合は自分には無理」とし、自分なりのプロレスを模索するようになっていった。

現在のアクロバティックな攻防も四天王プロレスの流れだと考えられがちだが、実際にはルチャ・リブレやエクストリームスタイルから来たものが多く、四天王プロレスとは全く異なるものだと自分は考えている。

結論として、四天王プロレスは三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太にしか成し得なかったプロレスであり、後に続くものはないと言える。

では、なぜ四天王プロレスが誕生したのか。そこには佐藤昭雄とUWFの存在が大きく影響していると思う。

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