177. 【コラム】たとえ自分が損をしても平等な社会の実現を目指す?
こんにちは。五十嵐です。
面白いゲームを本で知りました。
ゲームといってもあくまで行動実験のためのゲームです。
それは「最後通牒ゲーム」です。
ざっくりルールを説明します。
プレイヤーは二人です。二人一組でやります。
AさんとBさんです。
このゲームではお金を二人で山分けします。
ここでは10万円としましょう。
Aさんはお金の配分を提案する権利があります。
例えば自分(Aさん)が5万円でBさんが5万円で山分けはどうか?というぐあいに。
Bさんにはそれを受諾するか拒否するかの権利があります。
もしBさんが拒否した場合、二人ともお金は1円も貰えません。
このゲームで面白いポイントは、Aさんの取り分が7割を超えない提案をAさんがすると、ほんとんどの場合でBさんは受諾します(拒否権発動率2割)。
しかし7割を超えだすとBさんの拒否権発動率が8割を超えます。
もし人が経済合理的な生き物で冷静に判断できるのであれば、Bさんは1円でも貰える提案ならすべて受諾すべきです。
拒否してしまえば1円も貰ないのですから。
仮に9万9千円はAさんの取り分、という提案を受けても自分は千円貰えるのですから。
しかし人は「フェアじゃない」「自分の尊厳が傷つけられた」と思うと、「自分の取り分は0円でもいい、そのかわりお前も0円だ!」となってしまうのです。
そしてこの拒否権を発動しやすい人の特徴があります。
それは協調性を重んじる人が特に拒否権を発動しやすいそうです。
「なるほど」と変に納得してしまいます。
以前聞いた話で、成功する人は「サイコパスかドM」の人という話を聞いたことがあります。
なるほど協調性は本当に大事ですが、何か突き抜ける必要があるときは、サイコパスのように「あなたがいくら貰っても構いません。ぼくもお金貰えてるし」と思うのかドMのように「くぅ~自分だけ取り分がすくない!だがそれでいい!もっと頑張れる!」と解釈することが大事なのかなぁ、なんてぼんやり考えてしまいます。
脳の仕組みを知れば知るほど、自分を含む「人」って面白いなぁと最近よく思います。
五十嵐 由高