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「私の受けた血液を返しておいて」

今日は秋葉原にある献血ルームで79回目の献血をした。予定よりも早く到着したが平日の午後は閑散としているので、予約はしていたがフリー枠で通される。朝実家に向かい、そこで少しだけ緊張することがあったからか、血圧測定で脈拍が100を超えていて、問診の前にしばらく待機。血小板ではなく血漿に切り替わって1時間。ボランティアなんて名乗れるものではないが、普段何も社会に貢献していないので、これだけは赤十字社から「もう無理です」と言われるまでは続けていきたい。

初めて献血をしたのはまだ母が存命の頃で自分は高校生か浪人中の頃だった。母はちょうど今の私の年齢くらいだったはず。病名は忘れてしまったが、何かの腫瘍の手術で輸血をして、お見舞いに行った時「私の受けた血液を返しておいて」と言われたのが最初。八王子の駅前にある献血ルームで200mlか400mlの全血献血をした。

その後しばらく献血をしない時期もあったのだが、20代の最後の頃に当時付き合っていた女性と別れることになって、それまでの人生で経験したことのない消失感と暗澹たる気持ちの中で、単純に純粋に「誰かの役に立ちたい」と思い献血を再開した。この時の気持ちは今でもよく覚えていて、献血の原動力の一つになっている。

赤血球に血液型があること程は、白血球にもHLAという血液型があることは知られていない。ある時から、赤十字社から「あなたと同じ白血球の型を持つ人がいるので献血をして欲しい」という手紙をもらうようになった。重篤な病気を持つ患者さんに対しては、白血球の型も合わせた輸血が必要なのだろう。

その患者さんの手術の予定や、必要な曜日に合わせて献血する時期を電話で調整して、献血ルームに行くという流れだ。「誰かの役に立ちたい」が「特定の人の役に立つ」というはっきりしたものになった瞬間だった。

まだ調べたことはないが、私のHLAの型が特殊と言うことはおそらくないだろう。それまで安定して血液を届けていたので、目に留まったのではないかと思っている。HLAでの献血は79回のうち、10回以上はしているはずだ。

最近はこの要請はあまり来ない(数年前から電話からメールでの要請に切り替わった)のだが、一般で献血を予約していても、来訪するとHLA扱いになっている時がある。何かの機会にそれは「キャンセルしにくくなるのでやめてほしい」旨を伝えたからかもしれないが、「患者さんがいなくて良かったな」と単純に思うようにしている。

そしてその後も年に数回は続けていたが、献血のペースアップがされたのは、結婚して生まれた子どもが2歳になる前になった免疫の病気だった。血液製剤を大量に投与され、自宅近くの大病院では入院しても専門的な治療はできず、全く症状が改善されなかったので、世田谷にある小児に特化した病院に転院した。その後、2か月して退院。完全に治るということはなく寛解という状態だが、あれから何度も再発して、今も免疫抑制剤が欠かせない。

おそらくあの血液製剤の量は、私が一生(というか、そもそも献血には年齢制限がある)かけても返せないと思う。だけどこれはできる限り続けなければならない義務で、少なくとも年齢制限を迎えるまでは、健康に気を付けなければいけないという動機にもなっている。それは存命だった母から「あなたの身代わりになった」という恐ろしい言葉を受けたから。これが2つ目の原動力になっている。

彼はその病気で、一生で一度も献血をできないはずだから、彼が、私が初めて母に言われて献血をした時と同じ高校生になったら、必ず「あなたの受けた血液は返しているよ」と、伝えようと思っている。

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