『007スカイフォール』自分の信念を貫き通す vol.291
007シリーズとしては、映画の中でも人気ではないでしょうか?
私もこの映画を見るまでは007という言葉は聞き覚えがあるけれど、、、と言った具合でした。
『007スカイフォール』は、007シリーズとしては第23作目。
それだけ度重ねてきた深みや俳優が変わるごとの面白みも、シリーズ好きには感じられるのではないでしょうか?
私がこの映画を見ていて、まず頭に思い付いたのはやはり、バラエティ番組のしゃべくり007。
高校生の頃は好きで毎週見ていましたが、今になってようやく007がこの映画から取っているということを知りました。
冷めやらぬ興奮
映画冒頭からド派手なアクションシーンで始まります。
人通りの多い街中を車で追いかけたり、家の屋根の上をバイクで走ったり、走る電車の上で格闘したりと、ハラハラドキドキしました。
そして、そんなアクションシーンがこの映画の各所に散らばっているのです。
途中は列車丸ごと一個使って、追手の足を止めようとしたり、最後には家丸ごとを爆発させて見たりととにかくド派手な演出がこの映画を華やかにしていました。
しかし、逆にそこに力を入れすぎてしまったのか、そもそも考えていなかったのか、論点として見えない部分もいくつかありました。
まぁ、映画特有のものなのかもしれませんが、そもそも敵役のシルヴァの目的が見えなかったり、M16の立場が分からなかったりと細かな部分で疑問が湧き上がりました。
2人が求めるはM?
最後のシーンでシルヴァは、Mと心中することが目的であったと分かります。
そのために何度も回りくどく、M16の本部を爆破したり、わざと敵基地に潜入したりとしているわけですが、何ともこれが理解できません。
結局のところ、シルヴァはMを殺したいのか、それともただ単純に見て欲しいのか。
母親にかまって欲しいだけの少年のようにしか見えなくなってしまいました。
それが特に表現されているのが、敵に捕まりM16に監禁されてMと対峙した時。
シルヴァは自分がどれだけ辛かったのかを話すだけで、それ以外には何もないのです。
一方でそれを憐れんで見るボンド。
ボンドもまた、その後に意味ありげにMについていき、その真相を聞いて安心します。
まるで、自分は同じことにはならないか?と確認をしたかったかのように。
大きく見ればボンド対シルヴァの戦いのように思えますが、実はMの注目や信頼を取り合っているだけのただの兄弟喧嘩のようにも感じました。
あくまでも物語の一部
『007スカイフォール』としては、これで終わりですが、やはり007はシリーズを通してみるから面白みがあるのかもしれません。
今回は最終的にMも死んでしまったことで、本部も新しい顔が入り役職も変化しました。
これもきっと、シリーズを通して見ている人からすれば面白い変化なのでしょう。
『007スカイフォール』を『007スカイフォール』だけの世界としてみるのではなく、007シリーズの続く物語の中で、一部分を切り取ったようなそんな見方こそが、この映画の楽しみ方なのかもしれません。