
反省はなんのためにする? vol.319
日常6心の中にも含まれている反省。
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」という反省の心。
では、一体この反省はなんのためにするのでしょうか?
人間関係のため?、自分の中で一区切りつけるため?、その場凌ぎのため?
この反省という言葉には深い意味合いがあるのです。
だからこそ、日常6心といった形で、古くから受け継がれるものとして残り続けているのでしょう。
今日はそんな反省について見て行きます。
悪いことをしたから反省する?

反省というと何処かマイナスのイメージを持たれている方が多いのではないでしょうか?
私自身、反省するのは悪いことをした時というイメージが強くあります。
それでは、反省と内省との違い、リフレクションやふり返りとの違いはなんなのでしょうか?
それぞれに細かな定義があるかと思いますが、私は反省は時間と空間、そして事実とを総合的に捉え、それを抽象的、具体的に行き来しながら見ていくことだと考えています。
例えば、友人にひどいことを言ってしまったときのケースを考えましょう。
これをふり返るとなると、その事実を改めて確認することです。
そこにあるのは「友人にひどいことを言ってしまった」という事実だけです。
リフレクションであれば、「友人にひどいことを言ってしまった」結果どうなったのかというところも見ること。
内省であれば、「友人にひどいことを言ってしまった」結果、今どう思っているのか。
反省は「友人にひどいことを言ってしまった」のはなぜかを考えること。
WHYという広い問いを考えるからこそ、多くを包括的に捉えられるのです。
反省は良心を磨く

そもそも反省をするのはなぜでしょうか。
それは行動をしているからこそ、反省をする機会が生まれるのです。
つまり、この行動が起こらなければそもそも反省すらないのです。
反省を日々行うことは、想いや言葉に力強さが出てきていい行動が生まれ、それが習慣となり、人格を向上させ、運命を変えていくことができるのです。
日々の反省こそが悪い心を抑え、良心を磨いていくのです。
だから、言動や発言に反省すべき点があれば、素直に認め改める必要があります。
できるまで努力をして創意工夫をし続けるのです。
しかしながら、自分だけでは気づけないところもあるかと思います。
だから、言って伝えるのです。
これこそが、ティーチングです。
反省は過程であり、手段

行動をすれば、その分必ず失敗もあります。
間違いも起きます。
ただ、失敗をしても悩んだり、迷ったり、悔やんだりする時間を長くとる必要はありません。
その時間をどれだけ長く取ったとしても、物事はいい方へ転換しません。
どうやったら、うまくできるかできる理由やる理屈を考え、とにかく行動あるのみなのです。
この、できる理由やる理屈を探すのがまさに反省であり、持つべき精神なのでしょう。
反省は自信をつけ、行動に意味を与える最高の心得です。