甘い葡萄は、酸っぱくならない vol.202
狐と葡萄というイソップ物語をご存知でしょうか?
よく聞いたことがある簡単な要約です。
狐が葡萄のなる木を見つけるも、自分の力ではその葡萄を取ることが出来ずに、きっとあの葡萄は酸っぱいに違いないと正当化してしまう物語です。
この話は、自分の手に入らないものに対して、自己防衛のために必要のないものだと思い込むという例で使われます。
しかし、自分の人生を振り返るとこのようなことで溢れています。
やらないできないにクリエイティブ
私たちはどうしても、目の前に困難が現れた時に、やらないできないにクリエイティブになってしまいます。
それは、失敗を恐れるあまりの行動です。
失敗を恐れるのは、失敗をした自分を想像するからです。
失敗をすると、周りから虐げられるかもしれない。変に思われるかもしれない。軽蔑されるかもしれない。怪我するかもしれない。
全部〝かも〟なんですね、これが。
やらないできないは簡単に思いつくくせに、やるできる方を想像すれば、取らぬ狸の皮算用とバカにされます。
でも、結局は葡萄を真に取りたいのかにかかっているのです。
例えば、今自分が餓死状態で危機状況であれば、何がなんでも葡萄を取るでしょう。
その葡萄を取れば、葡萄の種を蒔いてずっと葡萄を食べられると分かれば、必死に取るでしょう。
ようは、そこにかける思いや信念の強さが表出されるのです。
賢い狐が葡萄を取ったら?
きっと地団駄を踏んで悔しがることでしょう。
自分も取ろうとしてみれば良かった。
とりあえず、チャレンジしてみれば良かった。
後悔するのは目に見えています。
酸っぱいと思い込んでいてもです。
頭のどこかでは、あの葡萄は甘く美味しくジューシーであることを知っているのです。
だから、自分に嘘をついたところで自己防衛に走るどころか、自分自身から目を背けていることにつながるのです。
どんなに思い込んでも、甘い葡萄は酸っぱくはなりません。
むしろ、想像の中で取れなかった葡萄の甘さはより甘美なものとなっていくでしょう。
腐る前、取られる前に早よ取れや
いつかいつかと挑戦する時を先延ばしにしても、いつまで経っても、いつかはいつかです。
未来は現在としてしかやって来ません。
未来が目の前に訪れることはないのです。
そして、葡萄も時が経てばいずれ腐ってしまいます?
転機は気づいた今この瞬間。
あなたに取っての甘い葡萄、そして見ようとしていなかった本当は甘い酸っぱいと思い込んでいる葡萄はなんですか❓