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仕事における平等を考える vol.722

日々の業務量、皆さんはどのように感じているでしょうか?

私は自分自身人並みには仕事をしていると思っています。

ただ、その仕事を遂行するバランスであったり、時間の割き方はそれぞれ。

やりようによっては、非常に楽になるのでは?と思えるのが教員の仕事です。

ただ、中にはそれが上手ではなく簡単にキャパオーバーになってしまう人もいます。

そういったときに必要なのは公正の考え方なのか、平等の考え方なのか。

これについて考えていきます。


公正と平等

この話をすると間違いなく出てくるのがこの写真。

左は平等、右は公正。

要は、それぞれの能力に見合った支援をするといったもの。

これだけ見れば、当然だよねと感じるかもしれませんが、職場における業務のできるできないの違いにこれを当てはめてもいいのでしょうか。

仕事をこなせる量はひとそれぞればらつきがあります。

それを持って生まれた能力だから仕方ないよねといってあの人の仕事は少なくしてあげよう。

これは全くもってお門違いだと思うのです。

全ての人が等しく同じ教育環境をという中で公正を大事にするのはわかるのですが、大人の我々は仕事に対して対価をもらっています。

であれば、その対価に見合った業務をこなすのは当然であって、そこに個々の能力値による差を設けるのは見当違いではないでしょうか。

どんな人生を歩んできたんだろう、、、

で、もっと?と思うのが、それが同僚であったり後輩であったら全然カバーもしますし、別にできていないのが当たり前だと思えるのですが、それが年上となると、、、。

いままでどうやって仕事をしてこられたんですかと聞きたくなってしまいます。

自分のことで必死、むしろ他の人に期限やら業務が完了してないやらで迷惑をかけてしまう。

若手の足を引っ張る先輩ほど嫌悪感を抱くものはありません。

ただ、そうはいっても同僚は同僚。

こういった人たちとも一緒に仕事をしていかなければなりません。

はてさて、そのときこの公正の考えた方を用いて仕事を均すのがベストなのでしょうか?

唯一の方法は点数化

やはり、こういった業務量を整理するためには業務の点数化しか方法はないと思います。

可視化した上で業務量を割り振る。

そしてそれに見合った報酬を与える。

それは休みでもお金でもなんでも形はいいと思います。

ただ、この点数か主観的になってしまいがちで、客観的な数値が見えないというデメリットもあります。

要は私からすれば楽なのに、あの人からしたら大変そうといったやつです。

こういったところが見えれば、簡単にできる人がやるべきなのでしょうが、そうするとまたこれは業務の偏りになっていきます。

とりあえずはこの点数化やってみてもいいのかもしれないですね、、、。

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