性教育についてどう考えるか vol.542
ここ最近、ネットニュースでは性教育についての話題が絶えません。
親御さんの悩みから表に出てくるパターンが多いようです。
それもそのはず、今の親世代が子供の時にはまともに性教育などなかったのかもしれません。
いや、あったのかもしれませんが、それはある意味義務化されたものであったり、親から子への教育もどこか各家庭の適当な加減で行われていたのでしょう。
誰もが通る性への疑問、興味、関心。
これを親として、大人としてどのように答えていくのが正解なのか。
これを今日は考えたいと思います。
予想以上な過激な世界
子どもたちからしてみれば、必要以上に過激な世界が目の前に広がっています。
以前までは、ネット環境もそこまで整備されていなく、性的コンテンツが目に触れることも少なかったことでしょう。
しかし、今の時代は違います。
違法とは言え、いくらでもそう言ったコンテンツを目にする機会はあるのです。
フィルタリングやらなんやらで防ごうが、そんなものには必ず抜け道が存在します。
子どもの興味をそんなもんで押さえつけることはできないのでは?と思います。
ともなれば、やはりそう言った間違った情報を正解として捉えられてしまう前に、身近な大人が正しい性教育をしていく責任があるのではないでしょうか。
普通を間違えないうちに
今の時代普通という言葉を使うのが正しいかはわかりませんが、間違った普通が子どもたちに浸透しないうちに教えていく必要があります。
普通は人の数だけ存在しますが、誰もが必ず押さえておかなければならない基本というものもあります。
そこですらもやはり、大人と子どもという立場があるだけで、なかなか話しにくいものになってしまうのでしょう。
であれば、頼るべきものもたくさんあると思います。
今、世間的にみても性教育にはここ数年問題視をして、しっかりと教えていこうという動きは見られます。
その結果、書籍の数もここ数年で一気に増えました。
性教育を教える大人向けのものもあれば、思春期に入った子ども向けのものもあります。
このタイミングを逃さないようにするためにも、活用していくのが望ましいでしょう。
人としての関わり方
性について、恋愛観は大人同士でもなかなか話しにくいものです。
そのほとんどが心のパーソナルスペースを割って入っていくものですし、オープンにしなければならないものだからでしょう。
でも、これは人と人との関わり方にもつながるはずです。
大人同士であれば、その相手のことをどこまで信頼して、自分の心を開けるのか。
対子どもであれば、その子どもの未来をどこまで考えて尊敬して、人として接せられるのか。
話しづらいのは当たり前。
それでも、相手のことを思って思いやりで話す。
これが性教育において大事な考え方なのでしょう。
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