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教員採用試験の2次試験でかました話 vol.110

教員採用試験を受けたのも、思い返すともう5年前になります。

私は神奈川県の高校の理科で試験を受けました。

1次試験は専門の方は自信がなかったのですが、一般と教職に関しては満点だったのでは無いかというほど、よくできました。

この時は徹底した過去問対策が功を奏したようです。

苦手な音楽分野も楽譜を見ただけで、曲が降りてきて神がかってた記憶があります笑。

そんな1次試験を突破しての2次試験。

今でも忘れられません。

ファシリテーションの必要性

思えばこの時にすでにファシリテーションというものの重要性は肌で感じていたのかもしれません。

当時は集団協議という試験項目があり、同じ受験者と質問に対して協議を行いました。

さまざまな年齢の受験者が混じっていましたが、なんとなくほかの受験者が司会になり、協議が始まった記憶があります。

しかし、その中身は実に違和感の覚えるものでした。

受験者が話したいことを存分に話し、周囲の意見はさほど聞き入れない。

試験官へのアピールのように、自分の想いを熱く語るだけ。

教育について話す心躍る時間のはずなのに、なんだか異様に嫌な気持ちになりました。

私自身、ファシリテーションというものを知らなかったこともあり、話の仲介者や、緩和剤がないようなところに違和感を感じたのだと思います。

この頃からなんとなく、ファシリテーションの重要性を感じていたのかもしれません。

かました個人面接

とまぁ、ここまではそこまで印象に残らぬ記憶です。

そのあとの個人面接で、今でも思い出すと恥ずかしい話をしてしまいました。

私はそのとき、中高時代の部活動から大学時代のバイトコーチとテニスをし続けていたので、そのことをよく話のネタにしていました。

当然、面接官からもそのことについて質問が来ました。

「あなたにとってテニスとはなんですか?」

ガイドゲームのような哲学的な問いです。

この質問をした面接官は、洞察力というか心眼力に優れた面接官だったのではないかと今でも思い出します。

そこで、私が答えたのは、

「テニスは私の汗と涙の結晶であり、血と肉の一部です。」

どんだけテニスが好きなんだ笑。

いま、思い出しても恥ずかしいです。

テニスが好きではありましたが、別にジュニア選手のように、とても長い期間やっているわけでもなく、結果を出しているわけでもないのに。

そのあとに、恥ずかしさも合って、

「テニスは私にとってコミュニケーションの1つです。年齢や立場が違っても、そこからつながる繋がりをいくつも体験しました。」

と言い換えました。

でも、このかましが逆に良かったのかもしれません。

変わり続けるからこそ、己の芯を大切に

そのあとこの失敗談を多くの人に話しましたが、比較的いい印象を持っていただき、「そのままでいいじゃない!」と言ってもらえることが多いです。

本心と直感に頼った唯一の回答だったからこそ、その良さを認めてもらえたのかなと思っています。

はてさて、今同じ質問を受けたらまた別の回答が出てくることでしょう。

でも、それも自分の内から出てくる言葉であれば必ず、伝えたいところには伝わるはずです。

今は、当然テニスも好きですが、教育もロードバイクも、温泉も読書も、ラーメンも好きです。

でも、どこを聞かれても同じような回答をすることでしょう。

「あなたにとってテニスとはなんですか?」

の質問はきっと、表面的に見えるテニスという私の構成環境から、奥底の芯を覗くための本質的な問いだったのです。

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