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「あ、共感とかじゃなくて。」展 vol.758
ネットである日ふと目に止まり、みてみたかった美術展。
そこには芸術作品以上に、どこか哲学的な広がりととことん何かに着目した具体性が乱立していました。
正直、見た感想は「分からない。」です。
でも、考えるきっかけもできましたし、こんな視点を持ってみてみるのがいいのか?と共感をするためのプロセスのようなものをたどれたような気がします。
今日はこの「あ、共感じゃなくて。」展の感想を書きます。
それは訴えているのか、問いかけているのか?
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展覧会に入ってすぐ浮かぶのは「?」。
そこにあるのは何かよく分からない映像を映し出すモニターとその映像に関わっているであろう芸術作品。
複数あるそれぞれが何かしらのテーマの中で何かの世界観を生み出している。
正直どSなキュレーターさんだなと笑。
冒頭から何かわからない世界観で頭が一杯一杯になってしまう。
だが、そこにこの展示の意味というかタイトルに立ち直る瞬間があるのかもしれません。
別に共感しなくてもいい、共感してもいい、どう感じてもいい。
ただ、そこには作家さんの表現したいものが作品として展示されているという事実があるだけであって、それを持って私たちがどう感じるも自由。
そんな深みを感じられました。
信念と表現方法と
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この展示には5人の芸術家の方が絡んでいます。
それぞれの作者ごとにブースがある程度区切られてはいるものの、「あ、共感とかじゃなくて。」の一つのテーマに沿っているのは十分に見て取れます。
わからないとはいっても、それぞれにはそれぞれの世界観が表現されており、その世界にはどこか作者の信念を感じます。
現代社会への問題を提起したアンチテーゼのようなものから、一つのくくりによって社会からある種、孤立させられているという感情とそのつながり、日本古来の伝統を伝統としてではなく権利として捉えた時間。理解ではなくただそこに多様性があるという事実を物質的に表現した世界。
この解釈は正解でないかもしれません。
いやそもそも正解がない作品ばかりだったのでしょう。
間違いないのはそれぞれ作者には信念があり、方法は違えどそれを表現する術があったということです。
後世に何を残すか、あなたの生きた証明は
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久しぶりに芸術作品に触れ、気持ちに変化?がありました。
いや、ずっとあったことが再びゆれ動いただけなのかもしれません。
芸術というものは人々に広く長く慕われ続けます。
作者が死んだ後もです。
そしてそれが芸術家の人生でもあるわけです。
もしかしたら、これは芸術家だけでないのかもしれません。
誰でも次の世代へとある何かを継承しこの世界は成り立ち続けている。
では、私が後世に伝えたいものとは何なのか。
私の芸術作品は何なのか。