『アド・アストラ』遠い未知より近い愛 vol.734
私の好きな宇宙系映画『アド・アストラ』。
やはりこんなふうに未知のものを開拓していくというタイプの映画は作り物だとしてもワクワクします。
俳優陣も結構豪華な映画であるので期待はしていたのですが、まぁそれなりといった具合でした。
この映画を見ての感想を書いていきます。
かつての記憶を追い求め
主人公のエリート宇宙飛行士ロイはかつての記憶の中にある父を追い求め自分自身も宇宙飛行士になります。
しかし、彼には宇宙飛行士になって何をすべきなのか、どうしたいのか、どうなりたいのかといったその先は思い描いているようには見えません。
目の前の仕事をただただこなし、日々を真っ当に正当に過ごしている。
彼の原動力はただただ父の姿を真似て追いかけるということだけ。
それもその原動力が沸点を超えることはありません。
その日必要なエネルギーを最低必要な量で使用しているようなイメージ。
エリート宇宙飛行士として貢献をしているために、人類に大きな貢献をしていることに違いはありません。
ただ、果たして彼の人生の意味は何なんだろうと疑問に思ってしまいます。
いないの証明はできない、それでも
一方、ロイの父は知的生命体を探し求めることに夢中です。
遠い海王星に辿り着き、そこで太陽系外の星々の研究をたった1人で続ける日々。
普通であれば精神も崩壊してもおかしくないはずなのに。
それでもその使命、天命、任務を全うすることに全てを捧げる父親。
宇宙に人類以外の知的生命体がいるかどうかについては、多くの研究が現実にもされてきています。
ただ、いることの証明以上にこの広大な宇宙を相手にしてはいないことの証明の方が難しいと言われています。。
だからこそ、どこまででも調べ尽くしてみたいという感情が湧いてしまうのでしょう。
栄光と好奇心に支配された人生
父の人生は幸せだったのでしょうか。
確かに最初は人類のために、そして自分の知的好奇心に導かれて遠い太陽系外前まで出向いたのだと思います。
しかし、途中でクルーはいなくなってしまいました。
その後は非常に長い時間をただ1人で過ごしています。
私はどこか帰れなくなっていたのではないかと思うのです。
物理的にではなく心理的にです。
それはこれまでの功績や自分の立場で失敗はしたくないという感情、知的生命体はいないと結果として認めたくないという感情、自分にはこれしかもうないという感情。
さまざまなものがあったことと思います。
その証拠に息子のロイが宇宙船まで迎えに来た際も、宇宙が今では出ることを決意するのですが、その後は宇宙に散っていくことを望み、深淵の中に消えていきました。
どこかプライドが邪魔をしていたのかもしれません。
それでも父にはそれしか選択肢がなかった。
一方、ロイは独りの中で近くにいる人こそ大事であることに初めて自分の感情を持って気づきます。
ロイには帰る場所があったが、父には帰る場所がなかった。
これが似て非なる2人を表していたのかもしれません。