『私たちが勉強する意味』今一度考えてみる vol.447
8/23 読まずに参加できる読書会
「私たちが勉強する意味 ー最高に楽しかったブラックゼミー」
今回はこの本で読書会を行いました。
タイトルから私たちに何かを投げかけてくるこの本。
一体どんな対話が生まれるのでしょうか。
直結型と非直結型
この本では、大学生を主に対象として勉強する意味を解きながら、大学生たちが試行錯誤していきます。
そして、その大学生の中でも2つに分類をしていきます。
それは、大学での学びが直接将来の仕事と結びついている直結型(医療系や専門職など、おもに理系に多い印象)、大学での学びが直接将来の仕事と結びついていない非直結型。
この2つに分けています。
直結型の方が勉強する時間は長く、非直結型の方が勉強する時間が短いという全体的な統計は取れたものの、やはり勉強する人はするし、しない人はしない。
確かに、直結型の方が目の前の学びが将来に役立つと分かっているので、勉強のしがいがあると言ったところでしょうか。
どちらにしても私はなんのために学ぶのかと言ったところがやはり最重要項目となってくると考えます。
この本にも同じようなことが書かれていました。
結局、仕事のためとか資格取得のためとか、大学に入学するためと言った目的で学んだとしても、それはそこまでで終わってしまう学びです。
大事なのはもっと抽象的な、その人の生き方や在り方に直結していくような考え方なのでしょう。
勉強をすることによってどうなっていきたいのか、ここがない限りは勉強に対してもいい姿勢は生まれないように感じます。
答えはバラバラ
勉強するのがいいことだ!というのはもはや自明でしょう。
いや、勉強するのがいいことということ自体に疑問を浮かべるものに対してはその魅力をしっかりと伝える必要があるように感じます。
しかし、勉強はいいものだ!と理解しつつも、それをやるもやらないもその人次第だと私は考えるのです。
勉強をしなくとも、それなりの生活は保障されている国だからこそ。
勉強をする意味を見出せないのであれば、そこに勉強を強要することにはなんの意味もないのです。
だから、私たち教員がしなくてはならないのは、勉強という行為に対しての価値づけをしっかりと行ってあげること。
勉強って素晴らしいという体験をできるだけ学校にいるうちにしてあげること。
これに限るのではないかなと感じます。
本書では、大学生4人がまさにそんな葛藤と戦いながらも、自分自身の勉強を考えながらも、どう生きるのかどうありたいのかを考え続け、自分なりの答えを見つけ、勉強をし続ける覚悟を決めています。
おそらく、この子たちと同じようなプロセスが、広く多くの子にも必要なのでしょう。