
素直さとはやることである vol.355
最近、モヤモヤとしている。
そのモヤモヤの正体はわからない。
でも、原因はわかっている。
これは、私の生活があまりにもゆとりが出てきて、暇になってきているからこそ生まれているものなのです。
暇になっているのに、やろうと思ったことになかなか手がつけられていない。
これは一体どう対処していけばいいのでしょうか。
とりあえずやることが素直さである

そんななか、今日は日常六心の中でも最初に触れる素直さについて話す機会がありました。
みなさんにとって素直さとは一体なんでしょうか?
私にとっての素直さとは、とりあえずやることだと感じました。
例えばテニスを例にとってみます。
私はテニス部の顧問をしていますが、この部員たちと関わる人は大勢います。
顧問の先生、コーチ、トレーナー、OBOG、先輩。
数えればキリがないかもしれません。
そんな人たちからたくさんのアドバイスをもらって選手たちは日々成長していきます。
しかし、時にそのアドバイスは180度異なる場合もあるのです。
Aさんはこう教えてくれたのに、Bさんは全く逆のことを言っているぞ?
見る目が多いとこんなことがよくあります。
この時に、自分の好き嫌いでやってみる方を選択するのは、まだまだ3流です。
素直さとはまずやってみること。
違うと思っていてもそれが正しい時だってあるかもしれません。
テニス雑誌を見てみてください。
載っている選手はどれも異なるフォームをしているのに、そこには参考にすべきフォームとして記載されているのです。
つまり、自分に合っているのが何か、まずやってみないことにはわからないのです。
確かに、自分を強く持って他人の意見に左右されないという人もいるかもしれません。
でもそれも、一度素直に聞いてから改めて自分のこだわりを強めた方がよほど、その我や信念は強くなるのです。
中道中庸、守破離とでもいいますでしょうか。
命を燃やせ

そんなこんなでもうお分かりの方もいるかもしれません。
私の悩みはこの一つで解決できてしまったのです。
そう、とにかくやること。
自分の中ではゆとりができて、何かができると思っていても、おそらくそこにその楽さに甘えて何もしなかったり、しようとするのが億劫と感じてしまう自分がいたのでしょう。
なんとも恥ずかしい話です。
忙しすぎて自分の時間がない時には文句を言い、時間があればあるで何もしないで疲れてしまうという。
まさに自分との向き合いが足りていない証拠でしょう。
ただ、自分なりに何に夢中になって無が無心で取り組みたいのかも見えていない。
これは非常に危険な状態なのかもしれません。
モヤモヤしている中でも五里霧中でも突き進んでみるのも一つの手なのかもしれません。