一貫した教育を学び、創るために vol.137
ここのところ、児童教育や幼児教育に興味があります。
中高生を教えている中でよく耳にする言葉として、主体性や能動性といった、自発的に物事に取り組む姿勢を表した単語をよく耳にします。
しかし、多くの学校の作りはそういったものが生まれないように機能しています。
同じ教室で同じ時間に、同じ姿勢で同じ教科を学び、同じ目標を目指すことを強いられます。
成長するにつれてそういったものをより、気にするようになり、次第に社会の目、世間体を気にして、主体性、能動性といったものは育たなくなっていくのです。
小学校、中学校、高校と上がるにつれて、それは顕著に表れるようになります。
いったいどのようにすれば良いのでしょうか。
現場を知る
まずは現場を知ることが大切だと考えています。
どんなに、主体性や能動性が大事だといっても、どのタイミングでそれらが損なわれていってしまうのか、はたまた、幼児、児童の時期にはそれらは存在しているのかを自分の目で見ないことには、断定できません。
だから、私は今年度の後半で小学校の教員免許の取得にチャレンジしたいと思っておいます。
昨年度は特別支援学校の教員免許を取得しました。
特使の勉強をして、学んだことは多くありましたが、やはり実践に勝るものはないと感じました。
大学時代に実習で行かせていただいた特別支援学校の方がよほど、自分にとっても学びの体験になりました。
しかし、いきなり中高の教員免許だけでは小学校の中で教鞭を取ることは難しいです。
だから、まずは最低限の免許を取得して、満を辞して小学校という現場を見てみようと考えました。
なぜ知る必要があるのか
学ぶだけであれば、小学校の免許を取ることもしなくてもいいと思われるかも知れません。
しかし、最近私の中である一つの考えが生まれてきています。
それは、共通した認識や共通言語のある中での一貫した教育を受けてきた子どもがどのように成長するのかを知りたいのです。
さまざま教育をいろんな場所で受けて、それぞれの良いところを吸収して学ぶという考え方もあるかも知れませんが、オランダや北欧のように、幼い頃から、国の風土としてあのような教育をずっと受けてきた子どもがどのように成長をしていくのかを知りたいのです。
だから、私のキャリアとして小学校も幼稚園もいずれ自分がその場に入って経験する時に必要だと思い免許取得を目指しています。
なので、小学校が取れた来年度は幼稚園教諭の免許取得もを視野に入れています。
時間は最も価値のある資源
免許取得までには実は意外に時間が必要です。
小学校免許については、私は中高の1種免許があり在職期間も5年目に入っていますので、簡単に取得できますが、幼稚園教諭となると話が別です。
幼稚園教諭の場合の隣接校種は小学校になるので、現在の中高の教員ではなく、小学校2種で小学校の教員を3年間やらなくてはいけないことになります。
正直長い道のりになりますし、意味があるのかとも思えてきますが、それでもまだ、若いうちにできることがあるのであれば、行動あるのみだと思っています。
やらない後悔よりやる後悔。
まずはやってみて、どう生きるかは未来の自分に託していこうと思います。