『7つの贈り物』それは贖罪か自己満足か vol.622
個人的には超大富豪がプレゼントをして、その人の人生を追って見ていくといった映画なのかなと感じていましたが、そうでもないようでした。
この『7つの贈り物』を見ての感想を書いていきます。
罪に苛まれ、、、
最初のシーンもなんだかよくわからずに進んでいきますが、最後の最後で「あぁあれはそういうことだったのか」と気づきます。
とにかくベンは自分自身が命を奪ってしまった人への罪の意識で何もできなくなっていたのでした。
しかし、パニックになってものに当たったり、起き上がれなかったり。
しかし、それも自分の中で一つの解決策を見つけて行動的に変化していきます。
しかし、どこか不安げな様子。
何でしょうか、光と闇の共存というか。
人間というのは誰もがそうであるべきなのでしょうが、しかしそれも行き過ぎた光と闇のようでした。
人に命を与えようとする一方で方や自らの命を奪おうとしている。
彼にとっての生きるとはもはやすでにわれわれの生きるとは異なる、何かを達成しなくてはならないもののようにも感じました。
それは贖罪か自己満足か
最終的にベンは自らの臓器や家を明け渡すことで、社会的に救いの手を差し伸べてもらうことを望んでいるのに、恵まれない人や家庭に生きるという道を差し渡します。
ここが、この話の論点となる部分なのでしょう。
ベンにとっては贖罪のつもりかもしれませんが、この新たに与える7人は無作為にベンが選んだ人物です。
事故を起こして命を奪ってしまった人たちとは関係がありません。
果たしてこれが贖罪になるのでしょうか。
奪われた命は何も変わりません。
むしろ、その命を奪われてしまった人たちは何を、誰を憎めばいいのでしょうか。
憎むべき人がいればいいというわけではありませんが、その人たちはベンの選択を認めるのでしょうか。
やらぬよりやった方がいい?
とはいえ、やらないようりかはやった方がいいともいうかもしれません。
私はこれも間違えているともいます。
彼は自らの命を犠牲にしています。
自らを犠牲にして、生み出す誰かの幸せは本当に幸せと言えるのでしょうか。
私は、どんなに苦しくてでも、生きてその罪を償っていった方がよほど大きな価値が生まれるのではないかと思うのです。
せっかく救い出した命、これも無駄ではなかったはずです。
しかし、自分の命をささげるという形でしか彼らには何もできなかったのでしょうか。
なんというか酷く心が痛くなる映画でした。
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