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『ベンジャミン・バトン数奇な人生』 永遠は作り上げるもの vol.652
人生について、そして生と死について深く考えさせられる映画『ベンジャミン・バトン数奇な人生』。
老いと向き合った時、それは果たして悲壮感に満ちたものなのか、満足感に満ちたものになるのか。
きっとどちらの顔も兼ね備えているのが、老いというものであり人生なのでしょう。
今を生きるのは大切なことですが、それと同時に未来を考えて生きていくというのも大きな意味を持たせてくれるはずです。
映画を見ての感想を書いていきます。
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80代の年老いた姿で生まれ、歳をとるごとに若返っていき、0歳で生涯を終えたベンジャミン・バトンの奇妙な人生を、数々の出会いと別れを通して描く。
自分の生きる意味
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この映画は非常に生と死というものについて考えさせられました。
一般的に生まれた瞬間から生を感じ、死を感じていく我々の存在と、生まれた時から死が近くにあるベンジャミンの存在。
どちらがいい悪いはないですが、その両者に見える世界は大きく異なるものになっているはずです。
個人的な教育者の立場から考えてみると、生まれて成熟するまでの脳みそが経験する内容がこれほどまでに過酷ですと、正直まともな大人になれないような気すらします。
まぁ、それは置いといて。
生きるとは一体なんなのでしょうか。
生まれてからできることが増えていくという点で考えれば、ベンジャミンも我々も同じなのかもしれません。
しかし、ベンジャミンのほうがよほど制約はかかってしまっています。
自分が生きて何をまっとうするのか。
異なる人生のあり方ではありますが、生きる意味を考えた時、どれほどの差が生まれているのか。
時の交錯
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私が一番印象に残っているのは、ベンジャミンが若返っていき、でデイジーが歳をとっていきちょうど2人の年齢が交差するところ。
お互いに全く異なる価値観の中で、育ってきた2人が再び同じ時間感覚で生きる。
違うはずなのに一緒という価値観の共有できる時間。
ずっと異なる時間を過ごしてきたからこそ、感じていく一緒という時間。
そんな時間の交錯を感じました。
若返っていきたいのではなく、、、
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最後は非常にあっけなく終わりました。
ずっと苦しんできた時間が嘘のようにあっけなく切なく終わります。
そういう時間を見てみると、人はなんとも自分勝手で自分の持っていないものを求めてしまうんだなと感じます。
私たちは若返っていきたいわけではなく、いつまでも自分の理想としてありたいのかもしれません。
理想の時間というのはすぐに過ぎ去ってしまいます。
それでも、ベンジャミンはいつも常に理想の時間であろうと、理想の時間にしようと生き続けたのでしょう。