正範語録を考える vol.171
正範語録という言葉をご存知でしょうか?
正しい範の語録。
つまりは正しいとされる型や行いのことをまとめた、言葉集ということです。
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差
真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
本気ですると大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる
製作者は不明のようですが、最近では武田信玄の残した言葉をモチーフに作られたのではないかと言われています。
やった分だけ差がつく、やらなければその分自分に返ってくる。
だから、思いを大切にして、自分の原動力に自信を持って自分を信じ切ることを伝えたかったのでしょう。
問題は理想と現実のギャップ
私たちが何かを解決したいと思ったり、何かに不満を持つとき、そこには何かしらの問題が発生しています。
そして、その問題の多くが自分の理想としている状態と、現在実際に怒っていることとの差のことを示すのです。
この正範語録はまさにそこを指してくれています。
しかも、より具体的に。
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差
努力をした分だけ知識も技術慣れも身に付きます。
そしてそれが実力につながるのです。
そして、経験を積んで実績をあげればあげるほど、それに伴う地位や名声もついてきます。
そこを求めては、目的紛失のブレブレ人間になってしまいますが、付加価値としてそれらがついてくれば、責任感という自分にとっていいプレッシャーを生み出してくれる、最高の武器が生まれます。
私たちは自然と環境に身を任せ、環境に適応した人間になろうと、もしくは自然になってしまいます。
”郷に入っては郷に従え”ということわざもある通り、それを美徳としてきた風習があります。
しかし、それによって個がかき消されてもきました。
その中で自分軸を保つのは難しいことですし、継続できることではありません。
しかし、そう言った苦労を重ねることで。人格が形成されていくのです。
テレビやラジオ、新聞といったマスメディア優位の時代から、SNSやインターネットなどのマイクロメディア優位になった現代。
情報量は無限にあり、取捨選択をする自由が私たちにはあります。
集められる情報が多ければ多い方が、その分その中からより洗練された深い判断を引き出すことができますが、そもそもの手札が少なければ、判断のしようもなくなってしまいます。
どの程度情報を集められるのかと言った部分が、判断力に直結するのです。
やらない理由できない理由を作らない
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
自分の経験の中で必ずこう言ったことはあるはずです。
振り返ってみて、全力でできていなかったこと、達成できなかったこと、満足できなかったこと、、、。
そのほとんどに対して、言い訳や愚痴をはいていませんか?
できない、やらない理由ばかりを探していませんか?
ないものに目を向けるのではなく、今ある資源に目を向け、集中して振り切る。
これを一つやってみるといいでしょう。
本気ですると、、、?
本気で物事に取り組んで後悔したことはありますか?
本気で取り組めばどんな結果になろうとも、その結果は自分にいい経験を与えてくれてはいないでしょうか?
本気ですると大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる
本気とは、自分がどれだけ向き合っているか。
当然、心の底から向き合えばできないことなどありません。
思いは簡単に現実化する世の中になっているのです。
100年前のいま、誰が手のひらサイズの四角い箱で世界と繋がれると想像したでしょうか?
しかし、この100年でその想像を誰かが閃き、すぐに現実化されました。
思ったこと感じたことは、思い続ければ必ず実現します。
だから、本気ですることが大切なのです。
誰かと比較する必要はありません。
あの人はこんなにできているのに、自分はこれしかできない。
そんなことなどたくさんあります。
だから、自分が本気を出せたと思えるくらいの本気を出すことの方がよほど価値あるのです。
先人たちが残してくれた最高の言葉を胸に抱き、明日からの日常も味わっていきましょう。
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