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保険とサブスクを間違えるな vol.780

組合の委員長をやって2年目の年です。

昨年度なんとなく仕事感が分かって、この職場における組合の立ち位置と、組合に対しての理解もなんとなくわかりました。

まず大前提として組合活動がしっかりと成り立っているというのは、先達の方々の恩恵として享受すべきところだと感じています。

しかし、そこから漏れ出ていた右も左もわからない人間もいるわけで、こういった人はおそらくどこでもそうなんだろうなということを感じています。

今日はそんな少し愚痴に近いところを書いていきます。


組合は保険、サブスクではない

まず、ざっくりと組合とは何かと考えた時、真っ先に出てきた言葉は保険です。

私自身最初の数年間は組合活動の目的がわからず、正直何もせんでもええかと思い込んでいました。

別に組合があることで何かできているわけでもないし、必要なのかな?と思う部分があったわけです。

まぁ、それもしっかりと中身をのぞいていなかったからこその判断だったわけですが。

組合は常に何かを提供しているわけではありません。

それよりもどちらかというと何かあった時に動きますよという保険的な立ち位置の組織なのです。

ですからそのメリットを理解しにくい部分もあります。

ある意味を見出すのも難しい時があります。

ただ、この組合の有無こそがその職場の安全性の担保としての指針になっているのは間違いないでしょう。

意外とそんなところまで

と、まぁ組合の活動は目に見えないというところでしたが、実は意外にもやっていることは多いわけです。

年に数回ある賞与の額を理事会と相談して意見をするのは組合ですし、よりよい職場環境に改善するために既存の問題点を協議するのも組合です。

何か対人的な問題が発生した時、裁判などの法的措置をお手伝いするのも組合。

意外にも重要なところに存在しているわけです。

ただ、表には出にくいし重要な場面にならない限りは日の目を浴びないので、自然とお金を払わされているだけの組織に見えてきてしまうわけです。

それは私自身も思っていたところがあるので、しょうがないとは思うのですが歳をとった老害になればなるほどそこを理解できていないわけです。

職場改善は誰が考える?

そう考えると、組合活動を中心として運営する執行部は誰がやった方がいいのでしょうか?

私はやはりある程度年齢の高い層も必要な気がするのです。

その職場の肌感覚、人間関係、未来像がより鮮明に見えているからこそ、そういった活動に繋げやすいように感じます。

ただ、歳を取ればとるほど平たい人生を望みます。

アップダウンのない平坦、問題が起きたとしても我関せず一市民としてその場をなんとか逃れに逃れていく。

そういった処世術だけを身につけていくわけです。

これはどうしたものなのでしょうか。

よくしたいと思わせられない職場が悪いのか、平和すぎるのか。

まぁ、なんにせよ組合をサブスクと勘違いして、そのメリットなるものを享受しようとするアホ老人もたくさんいるという話です。



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