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『ゴーン・ガール』結婚は癒しか演技か vol.754
何となく見始めた映画『ゴーン・ガール』。
誰かの結婚だったりゴシップだったりというのはずっと興味がない人間なので、こう言った映画はあまり見ないのですが、まぁまぁ有名な映画だったようで、目に止まりみることにしました。
結婚とは一体何なのか。
物語はミステリー風なものなのかもしれませんが、最後には結婚について考えさせられる映画。
今日はこのゴーン・ガールを見ての感想を書いていきます。
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幸福な夫婦生活を送っていたニックとエイミー。しかし、結婚5周年の記念日にエイミーが失踪し、自宅のキッチンから大量の血痕が発見される。警察はアリバイが不自然なニックに疑いをかけ捜査を進めるが、メディアが事件を取り上げたことで、ニックは全米から疑いの目を向けられることとなる。
欲しかったのものは一体何なのか?
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エイミーが欲しかったものは何なのでしょうか。
全てを偽造してニックを殺人犯に仕立て上げ、最終的には自身も死のうとしていました。
痛い思い、辛い思いをしてまでです。
でも、最後のニックの声かけには反応をして、人を殺してでも戻ってきました。
エイミーはニックをとことん恨んでいたわけではないのでしょう。
では一体エイミーは何が欲しかったのか。
もしかしたら彼女は自分への地位や名声、権力そう言ったものを生きがいとして生きていたのかもしれません。
彼女自身の印象を悪く捉える田舎のヤンキー娘の発言には珍しく感情を高ぶらせていました。
演じてでも理想の妻をして、自分の立場を守っていたかったのでしょう。
そしてそれこそが彼女の生きる意味でもあったのかもしれません。
結婚とは一体
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さまざまなミステリーを感じる映画でしたが、最終的には結婚とは一体何なのかに行きつきました。
ニックは結局のところ、自分の理想を手に入れて仕舞えばその後は空きていってしまうタイプ。
要は本来の自分の姿を見せずに惚れさせるようにいい男を演じることが得意だったのです。
一方エイミーも演じるのは上手ですが目的が異なります。
彼女にとっては、自分の地位を守るためのもの。
そして彼女自身も結婚とは自分を押し殺して相手の理想を演じるものと断言しています。
これはもしかしたら半分当たりなのかもしれません。
人と人のコミュニケーション
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結局結婚と家でも人と人のコミュニケーション上で成り立っているに過ぎません。
その一つの関わり合い、コミュニティが家族であり夫婦であり結婚が生み出すものなのです。
人は誰でもコミュニティごとに自分を演じ分けます。
キャラというものがあるようにどこでも誰とでも全く同じ自分という人はいないでしょう。
つまり結婚も、最初にあった相手の印象をお互いに変えずに維持しようとしているだけなのかもしれません。
しかし、そこには大きく時間というものが関係してきます。
結婚はずっと同じ時間と空間を共有する濃密な関係になります。
だからこそ、演じ分ける自分どうこう以前に素の自分を見せざるを得なくなっていくのです。
それがエイミーには理解できず我慢できなかった。
エイミーはサイコパスな女性とも取れるかもしれませんが、その辺の理解力が少し足りていないだけだったのかもしれません。
そしてニックもそんなエイミーを理解できなかった。
結婚とは一体どこまで自分を演じ、どこまで自分を出せるものなのか。
相手との関わりの中で。
さまざまな要素の詰まった映画でした。