栽培マン学校に現る vol.673
ドラゴンボールに出てくるキャラクターで印象に残りやすい戦闘クローン、サイバイマン。
種を埋めるとそこからすぐに生まれ、敵と戦う生物となるそんな性質からサイバイマンと呼ばれています。
しかし今日語るのはサイバイマンのサイバイではなく、本当の栽培。
なぜ、急に?
それは栽培を始めたからです。
誰と戦わせるというわけでなく、日々の生活の楽しみに。
今日はそんな学校に現れた、サイバイマンならぬ栽培マンについて書きます。
何を隠そうそれは私
お察しの通り、この栽培マンとは私のことです。
今、学校でいろんな植物を育てています。
はじめは簡単な観葉植物止まりでした。
いや、それすらもあまり丁寧には育てていませんでした。
ところが最近になって植物を育てることにはまりだしているわけです。
本当に趣味が次から次へと訪れて困ったものです。
ジャガイモ、ローズマリー、子宝弁慶草、アジサイ、オクラ、枝豆、ミニトマト、ナス、ローズゼラニウム、ミント。
それぞれ違った見た目をしていて、性質も異なっていて非常に難しいのですが楽しいです。
生の共有、生の教授
毎日がどれくらい成長しているかなと楽しみな生活です。
水を上げたり肥料を上げることで、枯れそうになっても少しずつ回復していく様子を見たりすると、命の強さを実感します。
私自身が手入れをすることで、植物たちも元気になる姿を見ると、私が命を与えているように錯覚もしがちですが、これぞ共存、共生なのでしょう。
実際には私たちが植物の存在によって生かされているという事実もあります。
うちの聖書科の教員は花に水をあげるときにこんなことを言っていました。
「お花に水をあげているのではなくて、私自身の心に水をあげているのです。」
なんだそりゃと思っていましたが、最近はなるほどそういう見方もありますねというようにも感じます。
何かを育てる、面倒をみる
何かを育てたり、面倒を見るというのは動物として当然のようにやってきましたが、本来は本能に強く根を張っている文化のようなものなのかもしれません。
私たちは実際に子どもたちに何かを伝承し続け、ここまで子孫を反映指摘ました。
仕事においても先輩からもらった仕事は、時が経てば後輩へと引き継いでいきます。
そんなサイクルをごく自然に当たり前のようにやっていますが、本来は極めて美しいものなのでしょう。
改めて、植物を育て始めて見て生物の神秘にちょっとばかし触れているような気もしています。
大袈裟ですが(笑)。
心に水をあげる。
良い表現ですね。