世界がもし100人の村だったら vol.135
『世界がもし100人の村だったら』という本をご存知でしょうか?
私はまだこの本を読んだことがないのですが、先日、これを動画にしたものを見ました。
皆さんはこの動画を見てどんなことを感じましたでしょうか?
当たり前は当たり前ではない
私たちが普段当たり前と感じているものは、当たり前ではありません。
そのことは、生まれてから何度も聞いてきてはいるものの、何度聞いても忘れてしまうとても大切なことです。
明日の安全が保障されていて、お金を持っていて、衣食住があって、家族がいて、仕事がいて、言語が話せて、読み書きができて、自分の学びたいことを学べて、、、。
数え切れないほどの幸せを抱えていますが、私たちは気がつくとその幸せを無碍にしてしまっています。
そして、その幸せであるはずのことを幸せと認められずに、あるものからは目を背け、ないものを欲し、苦しむのです。
なんと贅沢な生き物なのでしょうか。
この本や動画を見て、日々の生活にありがたみを感じるものもいれば、心苦しくなった人もいるのではないでしょうか。
その現状を投げ打って生活しろとか、当たり前のことに感謝しろとかそういったことも当然大切ですが、それ以前に、こういったことを知っておくということが何よりも大切なことなのです。
感謝が貢献を、貢献が感謝を生む
このことが背景にあるだけで、日々の些細なことにもふとした時に感謝が生まれるようになります。
そして、感謝は貢献を生みます。
こんなことをしてもらったんだから、お返しにとか、代わりにとか、お礼にといった言葉がたくさんあるように、私たちは常に感謝の念を形を変えて循環させることで、良好な人間関係を築いています。
感謝は、その行為や思いの先を予測しなければできない行いです。
ペンを落として拾ってもらった時、そこにペンが落ちてて気になったから拾ってくれたのだろうと考える人は少ないと思います。
自分がペンを落として、近かったからとかこの人のために拾ってあげようと思ったから、拾ったのだと予想するから感謝の言葉が、口から出てくるのです。
感謝するというのは高等技術ですが、想いを馳せているかどうかで感謝が出てくるかどうかも変わります。
ぜひ、世界がもし100人の村だったらの動画から感じ取れること、そして、自分の生活を振り返った時に、自分が感謝すべきはなんなのかを考えてみてはいかがでしょうか?
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