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『愛がなんだ』愛がなんだってんだよ vol.217

今度の映画会は『愛がなんだ』です。

比較的新しく、ちょっと見たことのないラブストーリーでした。

なんとも言えない日常の中にありそうな人の恋愛を描いています。

愛は深めるもの、恋は落ちるもの。

恋は盲目。

さまざまな言い方があるとは思いますが、それのどれとも違う、誰にでもありそうなそんなことを感じさせてもらいました。

愛、恋、好き、、、

この映画では山田テルコの田中マモルへの徹底した恋心が描かれています。

しかし、それを果たして恋心と呼んでいいのかどうかすら、最後にはわからなくなりました。

果たしてこれは、恋なのだろうか、それとも恋のその先にある愛なのだろうか、はたまた好きがいき過ぎてしまったのだろうか。

というのも、山田テルコは最初は本当にただ単純に好きすぎるだけのいたい女に見えていました。

田中マモルに会うためなら、自分を犠牲にしてでも会いにいく時間を捻出する。

誰でも人生の中で一度はあるのではないでしょうか??

ここまでなら、まだ理解できました。

テルコの友人の葉子と仲原くんの関係もわかります。

しかし、テルコの感情はそれ以上にそれを超えてしまっているもの。

最終的には田中マモル自身になりたいとまで公言し、以前一緒に行った際にマモルが言っていた「将来、象の飼育員になろうかな」という未来を追いかけ、象の飼育員になってしまうのです。

それ以外にも、田中マモルとの恋愛は結ばれないものと分かっていながらも、田中マモルと繋がっていたいから、田中マモルの友人といい関係になろうとさえします。

以上とも言える、愛、恋、好きを超越したストーカーじみた行動は、自分をいやでも俯瞰して見てみろよというメッセージにすら感じました。

他人は自分の鏡

この映画で印象に残っている箇所があります。

田中マモルにとって都合の良い女である山田テルコがいたように、葉子と仲原くんも同じような関係でした。

好きだけど、届かない。

手にできないと分かっている、でもそれならせめて一緒にいたい。

そんななんとなくな関係を互いに見えている中で物語は進んでいきます。

しかし、そんな友人関係もあることをきっかけに綻びを見せ始めます。

それが自分の存在を他者を通して見た瞬間です。

仲原がスミレさん(途中で出てくる田中マモルが好きになるガサツで適当な女性)に、葉子との関係やそれを問い詰められるシーンで、その関係を田中マモルは自分と山田テルコとの関係に当てはめ、葉子に自分の姿を投影します。

そのことで、自分がどんなことをしているのかをなんとなく感じ始めます。

その後、仲原が葉子を好きでいることをやめることを山田テルコに話す時、ここでも、山田テルコは仲原に自分の姿を投影します。

その後、山田テルコは葉子に仲原に対して酷いことをしていると言い、喧嘩になりますが、そこで葉子も田中マモルに自分の姿を投影します。

それぞれが互いに自分の姿を認識し合う瞬間でした。

幸せになりたいっすねぇ〜

仲原くんから時々出てくるパンチワード「幸せになりたいっすねぇ〜」は、最後まで映画の余韻を引き延ばすように心に残ります。

では、幸せとはいったいなんなのか。

自分にとっての幸せと相手にとっての幸せは違うのか。

恋愛をしているだけでは幸せではないのか。


そんなことを考えさせられます。

果たして、皆さんにとっての恋愛における幸せとはなんでしょうか?

好きな人に好きになってもらえると幸せ?

好きな人と一緒にいるだけで幸せ?

好きな人とヤレるから幸せ?

よくあるラブストーリーとは異なる、ラブストーリーの顔をした全く別の映画とは、まさしくこの映画のことを言うんだと実感した映画でした。

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