組合活動は周囲のためだけでなくて、自分自身の自立のため vol.431
以前、組合活動に対して積極的になれないなというような記事を書かせていただきました。
それは、組合活動への意識の低さと要求の大きさに違和感を覚えたからに他なりません。
しかし、ここ数日全国の私立学校の組合組織が交わる場に参加して、自分の知識のなさを痛感して改めてその部分が変化しましたので、書き直していこうと思います。
もしもの時のために
まず、組合運動をするん大前提は「もしものときのため」、これに限るでしょう。
そのもし元はどんな時かというと、学校にて不当な扱いを受けた時に集団としての声を上げるため、給与形態や休暇などの法的な運用の要求、法律が変わった際の働き方の改善などなどです。
多くの場合、これらの”もしも”は人ごとのように取り扱われます。
自分にとってはあまり興味がなく、そこを学んでいなくても生きていけるし働いていけるからです。
しかし、本当にそれで良いのでしょうか?
私はここに危なさというか、もったい無い気がしてならないのです。
確かに、自分の労働環境や法律などを知らなくても教員はできます。
でも、もしあなたの雇い主である学校があなたを悪いように扱おうとしていたらどうしますか?
今はそんなことはなくとも、あと10年もすればさらに少子高齢化はすすみ軒並み私立学校は苦しい状況に陥ることでしょう。
そうなった時、学校を経営する姿を予想した時、その皺寄せを現場の教員に行かせないと言い切れますか?
もし、言い切れるのであれば今の職場環境、すでに変なところはありませんか、、、?
よーく考えてみてください。
組合という組織でつながる意味
この組合にも上部団体があります。
上部団体とは各校の組合がそれぞれで成立しているのに対して、その組合のさらに集合団体のことです。
その種類はいくつかありますが、組合としてその上部団体に入るためにはお金が必要です。
そして、このお金が裁判などが発生した時の軍資金となっていくのです。
簡単にイメージすると保険のようなものでしょう。
保険は怪我や事故の時にある一定の額を助けてくれるだけなのに対して、組合の上部団体では、それに加えて情報を手に入れられます。
組合とは労使関係の改善を目的に日頃から活動しています。
しかし、こういった内部事情というものはなかなか表にはでてこないのです。
学校に対してマイナスになったりということは、一労働者は契約違反の行動になってしまうからです。
だからこそ、あえてそこのみで活動をしている組合という組織で結託をする必要があるのでしょう。
周囲のためが優位になるのではなく、結局は自分自身のため
結局は組合の活動を知るのは、一番は自分のためになるのです。
自分の働く環境が法律に対して本当に適しているのか、給与形態は問題ないのか、現在の法律の治める範囲内はどこまでなのか。
挙げればキリがありませんが、これらを一つ一つ学んで知っていくことこそが労働者としての自立につながるのでしょう。
先ほども申し上げた通り、知らなくても働いていけます、生きていけます。
だから、無理して組合活動をする必要も知る必要もないと思います。
しかし、私は思うのです。
集団に所属することは大事、でも、その集団に所属しているのは一人の人間であって働くだけのコマではないはず。
一労働者として、一人の個人として組合の活動を知っていくことは、また異なる方面から教員としての厚みを生み出す一助になるのではないでしょうか?
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