リーダーが苦手 vol.879
小学生くらいの頃から、人前で目立つのが好きでした。
なぜ、そんな人間だったのかはわからないのですが、多分どこか私自身もグレーなラインの人間だったのでしょう。
今でこそまともなフリをできていますが、時折自分の中に「あ、多分これ普通の人と間隔ずれているな」と感じる部分もあります。
まぁそれはさておき、リーダーや学級員と言った役回りを自ら率先してやりたがり系の人間だった私ですが、この歳になって「自分は多分先頭に立つべきではないんだな」という思いも強くなってきています。
今日はそんな感じたことを書いていきます。
こだわりの分だけ邪魔をする
リーダーというのは全体を見通す視野の広さが必要になります。
とはいえ、細部まで事細かにみている必要があるかと言われるとそうでもない気がするのです。
それでもどうにもこだわりが強い私はあらゆるところで気になってしまうきらいがあります。
例えば、書式やタイミング、方法など、役割を割り振った当人に任せればいいものを、もっといい方法がわかっているからといい方向に変えてしまったり修正してしまう時があるのです。
これは、ある意味では支援になるのかも知れませんが、ある意味ではその人の仕事を奪ったり、信用していないということになります。
それも分かってはいるのですが、全体のバランスや統一感から考えるとどうしても必要悪と思うのです。
そして私に足りないのは、そう言ったこだわりの部分を大事にしたいというところを伝えられなかったり、自分がやったほうが早いやと手を加えてしまうところ。
気分屋になれる2番手の特権
というのも、そんなこだわりを他者へと想いと一緒に必要性を説いていくのは時間がかかるし、労力も必要になります。
一言で言えば、「めんどうくさい」につきます。
誰でもそうだとは思うのですが、私も同じく気分屋で気分が乗らなかったり自分が忙しい時、時間を大事にしたいときは、そんなことを誰かに共有するなんて時間がもったいなくて仕方ないのです。
相手が年上であれば尚更です。
その点、リーダーではなくて副リーダーであれば、そこまで肩肘張ってこだわりを全面的に出す必要もありません。
その組織やグループの長は別の人がやってくれているわけで、その顔はリーダーなのですから。
2番手は気分で良くも何もしないもすることができるので、これくらいが自分にはちょうどいいのです。
それもこれも自分が決めていることではあるけれど、、、
とはいえ、自分はそういう性質だと決めつけるのはアウト。
それもこれも自分でそんな自分を望んでやっているわけです。
別に変わりたいと思っているわけではないので、そのままでいいとも思いますし、立ち振る舞い的にそれが楽かつ一番力を発揮できていると感じるのもその通りです。
リーダーとなってその顔になるということは、思いを全体に広く伝えていかなければなりません。
特段こうしたいという思いがない以上はなんとなくトップに立つべきではないんだろうなとこの数年間、いろんな長をやって感じました。
一方、自分が最も力を入れたいものが生まれた時に、どこまでこだわりを浸透させ思いを共感できるのか、ここが今の私の課題とも言えるでしょう。