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時間の長さは変えられる vol230
早いもので2021年も今日を含めあと二日です。
明後日には2022年になっています。
年末のこの時期に改めて2021年をふり返ると非常に多くのことがあったように感じます。
そして、私の27年間の人生の中で最も濃い1年間でした。
2021年のふり返りは明日やるとして、今日はこの時間の感覚についてまとめたいと思います。
時間はできるものでなくて、つくるもの
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私たちは生活の中でよく「時間があったら〜」という言葉を使います。
誰でも1度は使ったことがあるのではないでしょうか?
私も以前はしょっちゅう、この言葉を使っていました。
例えば、「時間があったら本を読みたい」、「時間があったら旅行したい」、「時間があったらテニスしたい」などです。
その結果はどうでしょうか。
ほとんど時間があることがありません。
もっというと時間はあっても、それは時間があったら時用にあるわけではないので、結局別のことで終わってしまうのです。
「時間があったら」はやりたいけど、やるエネルギーを出せない自分自身への言い訳なのです。
もし自分の口からそんな言葉が出たら、「行けたらいく」と同じくらい信用できない言葉だと思ってください。
では、どうすれば良いのか。
答えは単純明快。
その時間を作れば良いのです。
本を読みたいのであれば、本を読む時間を前もって作ってしまえば良いのです。
何時何分から何分間この本を読むというふうに。
これが時間をつくるという考え方です。
そうすると自然発生的にできた時間と比較して、自らの意思で作り出した時間なので、そこに対する意欲も数段上がります。
時間の長さと密度を変える
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時間の長さと密度を変えることもできます。
例えば、何か楽しいことに集中するとあっという間に時間が過ぎていることはないでしょうか?
人の集中力によって、時間の体感速度は長くも短くもなるのです。
では、集中をしなければ良いのかというとそうではありません。
むしろ逆に時間の捉え方に意識を向けるのです。
例えば、毎日お風呂に入る時間が決まっているものとしましょう。
1週目、時間は1分間しか与えられません。
おそらくほとんどの人が湯船に浸かるのを諦め、体をシャワーで流すだけとか、一瞬湯船に浸かるだけで終わらせるのではないでしょうか。
2週目、時間はもう1分与えられ、2分間になりました。
少し余裕が出てきたので、シャンプーぐらいはできます。
3週目3分、4週目4分、、、10週目10分と増えていきます。
すると、10週目になる頃には、余裕を持ってお風呂に入ってのんびりと過ごすことができるでしょう。
しかし、この時間の感覚を完全に意識せずに、普段の私たちが10分でお風呂に入れと言われたらどうでしょうか?
相当せかせかと急がなければと思うはずです。
これが、時間感覚の差です。
与えられた時間に対しての意識を変えることで、時間は長くも短くもなるのです。
そして、その密度すらも変えられます。
例えば、私たちは1日を過ごしていく時に自然と、次のように物事を過ごしていきます。
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A〜Eのやることを順番にこなしていきます。
しかし、A〜Eは別に1つずつやる必要はありません。
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こんなふうに、同じ時間の中で同時進行させることだってできます。
私が今、ふりかえりをしながらブログを書いているようにです。
等しく使う必要だってありません。
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こんなふうに、その重要度に応じて時間の投資を変えることもできます。
大事なのは時間を不変なものとして捉えるのか、自由に長さを変化できるものとして捉えるかどうかです。
意識一つで世界は、時間は変わります。