『メイズランナー』 不安定な安定を求めるか、不安定の先を求めるか vol.817
上映していた時は見てみたいなーと思ってはいたものの、私の中に映画を見に行く文化がなかったので、見れてなかった『メイズランナー』。
ようやくAmazonプライムで見ました。
誰もわからない謎の迷路を脱出できるのかどうか。
果たしてなぜ迷路に送り込まれてしまったのか。
そんな謎が多い中での現状を打破しようと動き出すかどうか。
人、一人一人の考えや想い、本心が交錯する面白い映画でした。
今日はこの映画を見ての感想を書いていきます。
不安定な平和は平和と呼べるのか
このグレードと言われる迷路のど真ん中の土地には確かに平穏がありました。
日中は壁が開くものの、グリードが動き出す夜にはしっかりと迷路が閉まり、安全に過ごすことができる。
物資も毎月送られてきて、自然も豊かなので生活に困ることはありません。
自分たちはなぜか閉じ込められているという事実すら忘れかねない状況にあったのでした。
本来であればすぐにでも脱出したいと思うはずなのに、不安定な中に作られた安定に安心感を覚えてしまっている人がほとんどだったのです。
これはまさに人々がコンフォートゾーンから抜け出せずにいるいい一例になったのではないでしょうか。
危険を冒してでも、その先を手に入れたいか
自分がこの世界に入ったら、危険を冒してでもよくわからないその先に行こうと考えるでしょうか。
私だったら平穏な世界を選び続けてしまうかもしれません。
自分の命すらも犠牲にしなくてはならない訳だからです。
そして、この平和はどこまでも続くと信じてしまいそうです。
なんだかこの映画進撃の巨人にとてもよく似ているなと今、改めて思いました。
保証できない安心に頼りきってしまう自分や環境。
その中でも、その環境を自ら打破しようと行動できるかどうかがとても大きな鍵になってくるのではないでしょうか。
定数をそのままに変数を
この世界でいうところの登場人物たちの人間性を大きくは変えることはできません。
最後までギャリーは考えを変えることはありませんでした。
そう言った定数を変えることに注力せずに、例えばこのメイズランナーではまだ未知の迷路という変数に立ち向かうことで現状を変えていきました。
これは、私たちの普段の生活でも同じなのかもしれません。
現状を変えられないとただただ嘆くのではなく、何か変えられそうなところから少しずつ変えてみる。
これを繰り返すことでどこかに打開策が見えてくるのでしょう。
迷路は全くもってヒントがなかったわけではありませんでした。
3年間かけてその構造や動き方まできっちりと分析をし尽くしていたからこそ、一つの鍵が全てを動かすヒントになったわけです。
メイズランナー、予想よりもワクワクやドキドキは少ない映画でしたが、そう言った勇気をもらえるような映画でした。
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