『オキシジェン』生きる選択 vol.730
パニック映画の一つ『オキシジェン』。
終始人が1人入れるだけの医療ポッドの中で話が進み、終わっていくという何とも撮影費がかかっていないのではないかと想像できる映画でした。
ただ、だからこそ緊迫した空気が直に感じられる面白い映画でした。
『オキシジェン』を見ての感想を書いていきます。
何を信じるか
何の記憶もないままに医療ポッドの中で目が覚めた主人公。
なぜ、自分がここに入れられているのかも分からず、そもそもこの箱が医療ポッドなのかも最初は全くもって分からない。
そんな不安しかない状況の中、自分がもしも同じ立場だったら何ができるのでしょうか。
誰を信じればいいのかも分からない、自分自身ですらも記憶がないから信じられない。
なのに、ポッドの中の酸素は減り続け不安感を募ってくる。
AIを完全に信じようにも自分の指示を全面的に聞き入れているわけではない。
信じる相手すらわからないけれども自分は絶望的状況に置かれている。
そこで冷静に謎解きなど不可能でしょう。
生きるためには
自分は死ぬかもしれないとなっているのであれば、目的は一つに絞られます。
生きるためにどうすればいいのかを考えることです。
そして、それはまず最初に医療ポッドから抜け出すという結論に至りません。
至極当然のことであるはずなのに、この映画の中でそれは市に直結することが後ほどわかります。
そもそも、助かりたい外に出れば助けてもらえるという確証、そしてその事実すらも作られた記憶だというのにです。
それでも、助かりたい生きたいというのが人間の本能なのでしょう。
人は何を持って人となるのか
話は後半に行くにつれて壮大になっていきます。
これまで生きてきたと思っていた自分自身も実は今目覚めたばかりのクローンであることに気づくわけです。
ただ、記憶としては細かいところまで覚えているわけです。
体験していないのにです。
では、クローンと我々人間の違いとは何なのでしょうか、何を持って人と呼べるのでしょうか。
そこにはもしかしたら明確な違いはないのかもしれません。
この映画の中で生き残ったのは、おそらくオリジナルではなくて全てがクローン人間。
ではそれは人類が生き残ったと果たして言えるのでしょうか。
ただのパニック映画と思っていたものは人間の尊厳という大きくも抽象的なテーマにまで足を踏み入れる映画になっていました。
そりゃそうすれば助かるかと最後の最後に納得をするのですが、そんな簡単なことですらも映画に没頭して緊張感の中思い描けない。
のめり込んでしまう映画でした。
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