グライダー人間と飛行機人間 vol.155
先日紹介した外山滋比古さんの本では、グライダー人間、飛行機人間という言葉がよく出てくる。
私たちは無意識のうちにグライダー人間を育ててしまっています。
言われたことを言われるがままに、完ぺきにこなせる歯車の一つとなり、特に何も考えず規則正しく動き続ける、そんな人間です。
そんな人間を作る場所がどこにあるか、という人もいるかもしれません。
しかし、それは全員が経験をしてきて今も昔もこれからもずっと関わり続ける学校という場所なのです。
考えてもみてください。
朝の始業の時間から始まり、決められたスケジュールをただ黙々とこなす。
授業中は私語厳禁で、お昼休みには短い時間で体を動かし、チャイムで一日の時間が区切られる。
放課後には各々が部活動や試験に向けての学習に勤しむが、学校という空間がずっとこびりついて、正しいと言われるであろう生活を送り続けようとする。
言われるがまま、一人で飛べないグライダー人間がたくさん量産されます。
就活時に求められるのは?
しかし、そんなグライダー人間量産所を卒業した暁には、一人で飛び立つことを求められます。
就活時にはこぞって個性や、その人にしかない経験、想いを求められるのです。
グライダー人間は空を飛ぶことを求められます。
果たして、これまで飛ぶことをしていなかったグライダー人間に、そんなことができるのでしょうか?
学校は素晴らしいグライダーを作ることはあっても、飛行機を作ることはないのです。
しかし、これには学校だけを責められません。
なぜかというと、社会構造そのものがグライダー人間を作る仕組みになっていたからです。
それも産業革命の時からずっとです。
決められたことを決められただけやっていれば、明確なゴールと幸せが見えている、そんな錯覚をしていたのです。
現実にそうでもありました。
ですから、学校現場を含む社会全体がそうなっているのでしょう。
時代の変化とともに変わる飛行場
しかし、グライダー人間が成功できる世の中も、時の流れとともに変化しています。
今は、たくさんの情報が簡単にすぐに手に入る時代です
個人ができることも増え、より思いを具現化しやすくなりました。
つまり、それぞれがそれぞれの意思を持って、飛び立つ飛行機人間が必要な社会になってきたのです。
その中での大人の仕事はより完璧なグライダー人間を育てることにはありません。
グライダー人間を育てても、世界は予測不能なことばかり。
自分で判断して飛べなければ意味がないのです。
学校の役割
当然、グライダー人間や飛行機人間の整備や点検も大切です。
しかし、私たち教員や学校の役割は管制室になるのではないでしょうか?
その日の天気や風量、風向きといった社会の仕組みや構造を伝えたり、彼らを俯瞰的にみてどのような状態になっているのかを教える。
これこそが、現代の学校現場のあり方です。
緊急事態に対応できるのは、飛行機に乗っているあなただけです。
管制室からはどのように頑張っても、それを乗り切らせてあげることはできません。
だから、ここぞという時を乗り切るだけの経験を積ませて、飛び立つ力をつけていかせる。
そんな学校や教員であるべきでしょう。