PROTOTYPEという3D実験映画を知っているか?
皆さんは最近、映画館で3D映画を観てくれただろうか。
例えば…
トランスフォーマーONE
怪盗グルーのミニオン超変身
アンゼルム "傷ついた世界"の芸術家
最近公開された3D映画はこの3本。
アメリカ本国でも、3D映画が公開される頻度も本数も減ってしまい、全盛期には1年に20本を軽々と超える3D映画が公開され続けていたのも、もう昔の話になってしまった。
Twitter上では頑なに3D映画を促進(というなの発狂)をし続けてる自分からしたらこんなに悲しい光景あって良いのだろうかと苦しみ続けている。今じゃ大真面目に3Dカメラを使って3D撮影をする監督なんて、キャメロンかヴェンダースぐらいしか居ないんじゃないだろうか。
前置きはここまでにして、3D映画というジャンルは未だに数多くの映像表現としての可能性を秘めているジャンルである。ハリウッドが演出するド派手でスクリーンから飛び出てくる演出はもちろん楽しいし観てて飽きないが、物事を立体的に見せ目の前で繰り広げているような芸術的な面白さをふんだんに取り入れた作品も多数ある。それこそ今年公開されたヴェンダースのアンゼルムも、作品たちを浮き上がらせる事で作品達の距離を縮め、いつしか作品達の中を歩いてるような錯覚を観客に覚えさせながらスクリーン越しに見る太陽の眩しさに目が眩むという素晴らしい3D体験ができた。
実際ヴェンダーズは今作のインタビューにおいてこう語っていた。
「3Dという表現方法は、過小評価されてきたと思います。仰るとおり3Dはアートフォームなんです。そして言語であり、媒体であり、メディアである」
参考記事
3Dはハリウッドのやり方が世界的に行われた結果が今日に至るわけだが、ヴェンダースのインタビューには非常に救われた所がある。3Dの可能性を探し続けてる巨匠がこうした形で3Dの可能性を未だに訴え続ける姿もそうだが、こうした提唱は3D映画の文化を絶やさない道へと繋がる
しかし、時に3D映画が感情に混乱をもたらす作品がある事を知ったのは3年前のことである。
コロナ禍真っ只中の2021年のこと、ある3Dブルーレイを購入した。詳細はよく分からないし予告編だってろくに見てない詳細が謎の3D映画である。
タイトルはPROTOTYPE
実験的な3D映画だ。
予告編
あらすじ
※今作の配給会社GRASSHOPPER FILMのHPより抜粋した文をDEEP Lで翻訳したものである。
テキサス州ガルベストンでアメリカ史上最悪の自然災害が発生した。6000人から12000人の人命が失われた中、奇妙なテレビが出所不明の映像を次々と映し出すのであった。
ブレイク・ウィリアムズ監督によるこの実験的な3D映画は、嵐の余波を我々に没入させながら別世界の終わりと世界の出現という神秘的な光景を刻々と表現する。
テクノロジーと映画、そしてミディアムな未来を考察した今作は濃密で儚く、明確な先祖に後継者もいない前代未聞の体験である。
以下原文記載の公式HP
https://grasshopperfilm.com/film/prototype/
・初見時の感想
これだ。
見ての通りである。
上手く理解できなかった。
まず今作は予告にも描かれているとおり、
白黒の不可解な3D映像を60分近く見続けるという実験映画だ。
そのため明確なストーリーラインも娯楽的な面白さは皆無。ひたすら不可解な情景を見続ける奇妙で理解すらさせない実験に巻き込まれたのだ。もうこの映画は忘れよう…と初見時は思っていたのだが、それでいいのだろうか。
理解できなかったからこれはゴミだと言うのは酷な話である。私には合わなかったという答えに行くのも簡単だが、それも正しいとは思えなかった。
物書きの練習のために何か一つ記事を書く練習として、この映画をもう一度見て感想を書くのもいいのではないだろうか。
そう考えてもう一度この実験映画を観た結論をここに書き残しておく。
やはり分からない
上手く噛み砕こうとしてもいつの間にか自分が何を観ているのか分からなくなってしまった。噛み砕こうとしても「じゃあ結局これはなんなんだ?」が毎分訪れる。
では今作はどういった内容なのか?
何を伝え何を訴えているのか?
これから記すのは、今作の大まかな流れと今作がどのような立場の作品であるかの考察である。
久々にこういった文章を書くので至らない点があるかもしれないが、リハビリ中だと思ってもらえれば幸いだ。
1900年の大災害
今作が最初に映し出したのは、森だった。何やら奇妙なマークらしきものが浮き出ていたがどんなマークかはハッキリしない。そして次に出てきたのはテキサス州ガルベストンで発生したハリケーンの惨状を撮った写真だ。家屋は吹き飛ばされ粉々となり、途方に暮れながら瓦礫を撤去する人々の姿。そして映像は今作の主人公とも言えるテレビを映し出す…
そのテレビが映し出したのは
・荒れ狂う海
・車のCG
・街を行き交う人々
・謎の格好をした人らしき物体
・激しい白黒のノイズ
それが一体何を示すかは分からない。そもそも謎の格好をした人物が人なのかすら判断ができないほど映像に映るノイズが激しい。
だが不思議なことに、ノイズの先で描かれている出来事は間違いなくただ事ではないという想像ができてしまう。
明らかに普通ではない存在が蠢き、我々とは違う世界が息をしているような光景の数々がそこに広がっているのは間違いない。
ここであらすじにある「世界の終わりと世界の出現」という言葉を思い出してみた。
要は自然の脅威によって我々が認知している世界とは異なる世界をテレビ越しに見せられたのではないだろうか?
テレビという通信機
今作がテレビで見せられる映像を軸にしており、白黒で映される映像のほとんどが不鮮明で見えづらいのも別世界からの通信が不安定だからという理由付けはできるだろう。
では一体誰が?何の目的でこれを用意したのか。これから自分なりに考えた考察を書き残しておく。
今作の映像の順列だが前述したように
森の中→1900年の写真に変わるのだが、その次に描かれたのがカラーで撮られた馬と誰かの家に飾られてある花瓶を映したら今作の主人公テレビがその姿を表す。そこから数々の映像を流していき、我々観客はその映像をただじっと見つめてるだけである。ここで仮定できるのは、このテレビを用意した人物は別世界の観察を好んでいるのではなかろうか。
別世界を映すテレビを用意した人物は、1900年のハリケーンが影響で特定の電波さえ拾えればこことは異なる別世界をテレビ越しに見ることができる事を知り、その電波を拾うためのテレビを開発した。研究の末テレビを完成させたその人物は、廃墟に幾つかのテレビを置き終始不鮮明な映像の先を見つめ我々が存在する世界とは異なる世界を知る、という研究を続けるのであった…
とまあ、この程度だがそもそも実験映画にこのような"ストーリー"を求めるのは間違っているだろう。
実験映画という立場から見た
PROTOTYPE
実験映画は、その名の通り表現の実験が行われた作品だ。自分が思い描く表現方法を探り、理想像に近づけながら映像を創り上げていく。その中にドラマがなくとも、実験を行った映画としての存在が成り立つ。今作もまたその実験の産物と考えると不思議と"面白い"と思える。
3D表現はかなり攻めていると言える。テレビの画面越しに映る光景を3Dで見せ、画面の中にある別世界を考察させノイズの奥にある光景を想像させる事に成功させている。実際、いくつかの場面はメガネをかけると薄っすらと別の光景が広がっているのを認識できるように作られている。
実験映画ゆえに前衛的な作品ではあるが、今作が用いている3Dの見え方を見せる技術は実に面白い。
ブレイク・ウィリアムズ
今作の監督であるブレイク・ウィリアムズの来歴を調べてみると、現在の主な活動は3Dで製作した短編作品を撮っていることだ。
監督の来歴が書かれたMUBIのホームページ
2012年から3D短編を撮り始め、今作が初の長編となった。上記のサイトに載せられている氏の発言通り、彼もまた3D表現を追求し続ける探究者である。そんな彼が何を求めているのかを考えた上で思い返すと今作の3Dというのは実に面白い実験だった。
3年越しの実験結果
コダールが生前、3D映画の仕組みを利用し左右別々の映像を映し画期的な表現方法で世界を驚かせた"さらば、愛の言葉よ"の公開から10年経つも、3Dの活躍の場はやはり大手スタジオの超大作やアニメーション映画に使われがちなのも変わらない状況だ。しかし、未だに彼らのような3D表現の探究者がいることと、彼らの作品があらゆる映画祭で上映される事が続くのであれば3D映画の文化というのは決して途絶えないと思える一本になった。初鑑賞から三年経った上でもう一度実験に参加するという視点に変えたのもあってか、この不可解な3D実験映画は間違いなく印象的な一本になった。
この実験をご自身の目で確かめてみたい方は、海外から取り入れる形になるが購入を勧めたい。これで貴方も前衛的な3D実験の被験者になってみてはどうだろうか?
また、今作には監督の過去作の一つである3D短編作品Something Horizotalも収録されている。こちらも前衛的な作品ながら、導入部分が結構わかりやすく描かれているので比較的見やすかったりする。
また、アナグリフ式3D版本編が公式から出ているのでご興味のある方は是非。(赤青の3Dメガネ必須)
監督による今作のインタビュー記事(英文)