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私へ 光のこと

私へ

何度私に絶望したか分からない。でも、同じ数だけ希望を持ち直して来られたから、今ここにいる。最後に背中を押してくれるのもまた、私の一番奥にある、変わらない夢の光だった。

世界に癒され、友に元気をもらって、たくさんの外界と他者に、支えられてきたね。
風に胸を掻き立てられ、空を仰いで心を高くし、美味しい空気を呼吸して、木々のざわめきと森の香りにどうしようもなく心を奪われているうちに、心体を深く整えられてきた。この美しい世界を、生きたいと思わされて。
敬愛する人の笑顔や声に癒され、言葉に愛を、眼差しに元気をもらい、背中を押してもらってきたね。この人たちと生きたい。私を親愛してくれている人たちがここにいると教えてもらってきた。

そうやって、深い鉛の霧が晴れてきて、そしてね、最後に、自分自身の内に光を差すのは、私自身だったよ。幼稚園の頃から書き留めてきた、たくさんの言葉。その中で、ずっと変わらない言葉。それは、私の意志。生きる希望。夢。わたし。私なんだよ。

大丈夫だよ。消えない、あなたの希望は消えない。できないことがたくさんあって、涙がでちゃうことが、いっぱいあるね。うまく動けないことがたくさんあって、自分がいやになっちゃうね。落ち込む理由の99%は自分自身についてだもの。他にも、つらいことがたくさんあるね。
だけど、希望を灯す力が、あなたにはある。それは力だ。その力は財産だよ。

ひとつ。世界が大好き。ふたつ。人を愛している。
私の寿命のうちに、世界の美しさは不変だ。人のいとおしさも変わらない。だから、私は生きることができる、美しい明日を信じることができると、言ってきたね。
もうひとつ、ある。あなたの中の、光がある。私の光が本当に揺らいでしまったことが、あったかな。一度もなかった。自分自身に絶望しても、あなたの光が消えることはなかった。鉛の雲で霞んでいても、灯火が消えることはなかった。
みっつ。私の光。これも、いなくならない。

4年。いちばん長い、長いトンネルを、歩いているね。この半年は、救けられた以上に、奪われる命のほうをずっとたくさん見なければならなかった。虚しくて、私の一番奥にある祈りまでも、灯火が弱くなってしまいそうな気持ちになることもあったね。でも、そうはならなかった。どう手足を動かしたらいいのかわからなくても、光だけは、消えなかった。消えてはくれなかった。消そうとしてみても、これこそが私の生きる理由だと教えてくれた。
5つか6つの時から、ずっと、最奥にいる光。私のいちばんやわらかいところを通って、最後にたどり着く、核。
そんなもの、ない方がよっぽど楽だと、幾度となく思ったけれど。どうしてそんなに私を引っぱるのか、掴んで離さないのか、まるで呪いのように感じたこともあったけれど。また、この半年の間で、初めて、光を失うことを想像して、心細く感じた時間も、あったけれど。

大丈夫だよ。それは、私を奪うものではないよ。そして、どうしたって、なくならないよ。私の生命がある限り、思考できる、感情できる瞬間まで、ずっと照らしてくれる光だよ。
この先、トンネルを抜けても、抜けなくても。また新しいトンネルに入ることがあっても。いいんだ。大丈夫。

光に魅せられて、少しでも速く、たどり着きたかった。今も、そう思う。
だけどね、急かなくたっていい。大丈夫。
人生は長くないけれど、花々と歌ったり、空と雲を描いたり、木々と休息をとるくらいの時間はあるよ。そして、そういう時間の中に、光にエネルギーを与えるものが、育てるための宝ものが、見つかってきたじゃない。だから、急かなくていい。のびやかに、深く呼吸して、私を生きていい。
そんな私を、私が抱きしめて。胸をひらいて、私が受容して。思いきり肯定して。いいんだよ。むずかしいね。うまくできなくても、いいんだよ。すこしずつ、ひらけてきたじゃない。それでいい。それがいいの。ぜったい大丈夫。

ぜったい大丈夫だからこそ。鉛の雲で光が霞んでしまっているときは、森に行こう。すぐに。海に行こう。野山で思いきりスキップして、大木に抱きついて、せせらぎと笑いあおう。今、空を見上げて、青で充たそう。
敬愛する人に会いに行こう。会いたい人に、今、会いに行こう。大好きだって伝えて、ハグして、他愛もない話をしよう。
光のことを忘れたっていい。忘れることなんて、できないから。忘れるぞ、という気持ちをもって、思いっきりオフする日をつくった方がいい。寝ても、休んでも、あそんでもいい。表現しても、創っても、描いても、奏でても、食べても、歌っても、走っても、泳いでも、何をしても、いい。光に直結しないことに没頭したっていい。その時間にこそ、生まれる光の枝葉だってある。霞んでいる今こそが、そうするべき時間なのだと思う。そう割り切ったら、むしろ、絶好の機運。チャンスってやつ。

私は、そうやって、光の視界を取り戻して、生きてきた。私の聖域。いちばんやわらかいところを通った、最奥の、最央の核。
聖域が晴れていれば、私は生きていける。必ず、晴らすことができる。
あなたが幸せになるために、あなたは光を持った。
だから、私の幸せを追求するために、私の光を持って。どうか、その光で、手足を、脳を、心を、しばらないでね。
光は、私を自由にするもの。私をひらくもの。何よりも深く、高く、広く、幸せにするもの。
大丈夫だよ。今、どうしていたって、聖域は、あなたを放してくれない。その光が、あなたを希求させ、欲情させ、充たし、癒し、生を掻き立ててくれるよ。

ひとつ、自信が増えたね。
やっと、自分の中にできたね。
それは、ずっとあったんだよ。

明日も世界は美しい。
無条件で愛してくれる家族がいる。
私の光は私を幸せにし、消えることはない。

令和六年 弥生 私より

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