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本質についての雑記

本質には物質的本質と共同幻想的本質の二種類があるのだと考える。
物質的本質とは木や物、食べ物などの人間以外の生物にでも知覚できるであろう、世界そのもののの本質である。
共同幻想的本質は人間特有の意識を共有することによってできる、物質に付帯される意味やクオリアにおいて形成される本質である。
昨今、物質的本質が人々に従属し、満たされたように錯覚したため、豊かな社会に住む人たちは共同幻想的本質に深く傾倒し過ぎてしまっている、私にはそのように感じられる。
彼らは多くの場合、お金の多さや株価、学歴、ブランド品、推しなどのような人間全般が共有する「価値」に重きを置いて生活を行っている。
すぐそばには生命維持に欠かせない食物や彼らの住処そのものなど物質的本質は存在する。しかし、それに対しては気を配らずとも生活ができている彼らにとって、物質的本質の価値は多くの場合抜け落ちてしまったと言っても過言ではないだろう。
一方で、豊かな社会に住む人の中にも物質的本質と向き合わなければいけない物たちがいるのである。
その多くは貧困者や障碍者、LGBTQに属する人たちなどである。
彼らの生活の中にはすぐそばに現実社会とはかけ離れた物質的な問題、すなわち生死の問題や、肉体的な問題が生活に強く結びつく形で本質として存在しているのである。
彼らは共同幻想に強く紐づいたこの社会において、それと両立する形で物質的本質を強く意識しなければいけない。
それ自体が彼らの生きることに直結するため、見過ごすことはできない現実として彼らに重くのしかかるのである。
ここに、大きな乖離が見て取れる。
他方では共同幻想的な本質が多く語られ、物質的な本質は蔑ろにされる。
上流の人々とそれを目指して邁進する中流の人々によって共同幻想に関する言説が社会の中で強く叫ばれている。
どのように株を買っていくか、チームマネジメントはどうするのか、次の流行は何か、今イケているブランドは何か、学歴はどうかなどが、成功に紐づいていると言われている物として盛んに発信されているのである。
一方で、物質的本質が重要である貧困や障碍者、LGBTQの人々に関してはそれらのことよりも上位に、自分の生命や肉体に紐づいている衣食住の問題や生殖器の問題を意識せざるをおえない。
彼らは決してマイノリティではない。しかし、社会を作っている人々のほとんどは上流か中流に生きる人々であり、彼らが作るフィクションや動画、写真にはそれらの現実が乗ってくることは少ないのである。
そして、物質的本質が蔑ろにされるのに比例するように彼らの声もまた蔑ろにされるのである。
昨今、アメリカ社会や先進国の社会を見ていると、このような格差が深刻に影響を与えているように見える。
多くなる犯罪や戦争、紛争、今まで溜まっていたものが噴出するようにさまざまな問題が次々と起こり、そしてそれらは物質的本質として我々に牙を剥いている。
我々は共同幻想的本質から物質的本質に目を向け、改めて向き合う必要が出てきたのかもしれない。
そんなことを強く思う。

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