「考える」
考えろ。
そうすれば人生は変わる。
「考える」ということは一見、食べる、歩くなどと同じようになんの変哲もない普通の動詞と思われる。
しかし、私はそうではないと思う。
もともと私は内気な性格で、好奇心はあったもののいろいろな物事に進んで取り組むような子どもではなかった。
そのためいつも受動的。
裏を返せば与えられたものは過不足なくこなす子どもだった。
授業中ノートは、黒板に書かれたものをキレイに写す。
宿題が出たら期日までにしっかりやってくる。
という具合。
一見まじめで順調な人生を送れるように思えるが、残念ながらそうとは限らない。
これでは何も得られないのだ。
上記の状態では、受動的に物事を進めていくため頭を働かせない。
つまり理解はしていない。
理解をしていない
=ものごとの本質をわかっていない
=ものごとのおもしろさを知らない
おそらく私の幼少期のような人生を送る人は、人生におもしろみが欠けていると思う。
休日に行く趣味の釣りや寝る前のドラマ鑑賞などのおもしろみではない。
人生全体としてのおもしろみだ。
今私も昔を思い返せばそうだった。
何が楽しくて、何がおもしろくて生きていたのかさっぱり。笑
しかし、「考える」ということだけで世界は変わる。
厳密には自分が変わるのであって、世界は変わらないが。笑
考えることで頭が働く。
頭を働かせることで多くの『なぜ』を見つけられる。
さまざまな『なぜ』を知っていくことで世の中の本質が見えてくる。
「この作業どうしたらもっと効率よくできるだろう。」
「なぜスーパーの方がコンビニよりジュースが安いのだろう。」
「そもそもなぜ人は生きているのだろう。」
などなど。
※生きている意味を考えすぎると初稿の私のようになるので気をつけて。笑
必ずしも全て能動的でなくても良い。考えて頭を働かせてみる。
それだけでただの受け身の人生とは違う。
その昔パスカルは言った。
「人間は考える葦である。」
そう人間は考えてこその生き物だ。
人間の最大の武器は知恵だ。
そして知恵は武器であり、財産だ。
だからこそ食物連鎖で上位に位置しているはずなのだ。
自らの武器を、財産を最大限に使って人生を楽しもう。
考えろ。
それだけだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?