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【書評】『1%の努力(ダイヤモンド)』 ひろゆき


こんばんはイイダです。
今回も例のごとく引用を用いながらぼくなりの感想を述べていきます。



〜中略〜
僕は、人生に「生きる意味」は存在しないと考えている。
虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、
地球上の生物は地球の熱循環システムの一部としての機能を果たしているだけだ。


去年ぼくの中に生まれた、死ぬまでまとわりつくであろう命題『生きる意味』。
ここ最近ぼくはその『生きる意味』をひたすらに考え、
それによって生まれた思考の掘り下げなどを行っています。
そんなところにこんな文章が出てきました。
この命題が生まれてから短い期間ですが、
『生きる意味』は何かあるはずだと希望のようなものを持って生きていました。
しかし、なんだか全否定されたような気分です。笑
そこから

〜中略〜
「じゃあ死ぬまでにできるだけ楽しく暮らすほうがいいな」
と思うことができる。


として
とても楽観的に捉えていることがわかりました。

ひろゆきさんは
『生きる意味』を掘り下げるのではなく
それはないものだと自分の中で仮の答えを立てて
「ではそこからどうすることができるか」と
改善できる部分を考えているようでした。

確かに
『生きる意味』はおそらく一生かけてもわからないので
割り切って次に進むのはとても現実的だと思いました。



考え方次第でラクになることは、スキルとして持っておこう。
〜中略〜
それが「生存する」ということだ。


岡本太郎さんの著書自分の中に毒を持てでも同じようなことが述べられていたのを覚えています。
自分を他人と比べるから劣等感を感じるわけで、考え方を変えるだけで特段変わったことではないと思えるようになる。

人間の脳内で想像できることはほとんど実現できる
なんてことも言われるくらいで、
考え方を変えるだけで人生は変えらるんですよね。

ただもちろん
他人と比較してしまうような風潮が強く根付いている今日の社会の中では
「よし今日から他人の目は気にしない」と
スイッチのように切り替えるのも容易ではないと思いますが。



〜中略〜
僕は名字が面白いというだけで採用したこともある。


「どんな時も人が人を選ぶ。 
 その選ぶ基準はなんだろうか。それは面白いかどうかだ。」
と述べていて、「人とは少し違う面白い人であれ」と説いている章でした

ぼくも高校生くらいからでしょうか、
友達付き合いを面白いかどうかという基準で選んでいた記憶があります。
たしかに
人間たるもの面白さは求めてしまうと思います。
能力以前にこのことは大事ですね。



〜中略〜
反射的に手を挙げられるかどうかは、経験がものをいう。


「その後の損得を考えずに立候補できる枠があったらとりあえず手を挙げるようにしてきた」
と言います。
それによって多くの経験が得られ結果的にトクをしてきたそうです。

この何でもかんでもまずやってみるという姿勢は以前読んだ
『死ぬこと以外かすり傷』の箕輪厚介さんの考えと同じものでした。

改めて
このような何事も経験してみるという姿勢は大事なのだなと感じました。



「最後に勝つにはどうすればいいか」


ある椅子取りゲームを例に述べていました。

自分本位と言ってしまえばそれまでですが、
人間は皆元から自分がかわいいのは間違い無いと思います。
それは性格や教育環境云々ではなくて生物としての本能的なもの

だからやはり
自分の利益を抜きにしてものごとは考えられないと思います。



〜中略〜
退屈な仕事もゲームに変わる。


自身をゲーム好きと言うだけあって
現実のものごともゲーム化して考えて楽しみながら試行錯誤しているのだなと感じました。
文中でも述べられていましたが、これは努力ではありません

好きなことをやっているだけであってあくまでも努力ではない。
裏を返して言えば、
このように努力ではない領域を見つけてしまえば無敵です。



「仕事だから調べる」「しょうがないから調べる」ではなく、「知りたいから調べる」を出発点にするのが大事だ。
そうやって過程を楽しめる人になろう。


最後に
気になったものは徹底的に調べあげるという文で締めくくっていました。

『知る』というのは可能性を広げることにつながり、
そしてその『知る』を自発的に行えるというのは一つの才能だとさえ感じます。

ぼくの周りにも頭のいい人間がいますが、何かわからないものがあればすぐに調べます。
そしてある程度の仕組みまで理解してしまいます。

こういうことなのだなと感じました。



〜中略〜
世の中すべて「ネタ」だということ。


これはぼくの『人生漫才』という考えと同じだと思いました。



まとめ

タイトルにもあるように
(本も人生も)全体的に「少ない努力で、『考える』ことで生き抜いてきた」
という内容でした。
確かに
文章を読む限りでは、
努力をしてきたようには感じられなかったし
極力『頑張る』ということを避けてきたようでした。

しかし
ゲームや映画を見た後もそれがどう生きるかを『考え』ていたようで
一見無駄に思える時間も
考え方一つで有意義なものにしていたのだなと思いました。

つまり
『努力』とは言わないものの、それに似た何かを常にしていたのだと思います。
そしてそれは文中で
「努力しないための努力」と述べられていました。


このように考え方一つで世界は変えられます。
人間の武器である『思考力』をフルに使ってイージーな人生を送るのもまた一興と思いました。

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