【人生観】現代のほとんどのものごとは『経済』を基にして考えられている
こんばんはイイダです。
今回は、現代におけるものの考え方についてお話ししていきます。
なぜ『経済』が基にされていると言えるのか
現代のほとんどすべてのものごとは、
『経済』を基にして考えられるのではないかと思います。
例えば、ホームレス。(ここでいうホームレスはまさに無一文のそれです。)
これには皆「なりたくない」という感情を抱くかと思います。
ではその理由は何でしょう。
不潔だから?みすぼらしいから?
順を追って考えてみます。
清潔感、見た目などの容姿は
生きるう上でなんとでもなるでしょう。
これは最悪なくても大丈夫なものです。
住居はどうでしょう。
家も最悪なくても問題はありません。
今は選択的にホームレスをやっている方もいるくらいです。
では
食はどうでしょうか。
こればかりはどうにもすることはできません。
最悪なくても生きていけるとは言えません。
では
反対になりたいもので考えてみましょう。
大企業の社長はどうでしょう。
タスクや責任などの細かい部分は抜きにして、
これには皆「なりたい」と思うのではないでしょうか。
ではその理由は何でしょう。
スーツを格好よく着こなせるから?
いろんな人に認められてもらえるから?
おそらく
「年収1000万以上ありそうだから。」
という答えが多くなるのではないでしょうか。
要するに、
「ホームレスになりたくない」というのも「大企業の社長になりたい」というのも、
おそらく
「食っていけないから」や「お金をたくさん自由に使えるから」
というような答えに集約されると思います。
これらのことはつまり、
『経済的な考え』が基にあると言えます。
さてそして
この考えが集約されてしまうのは
現代だからなのではないでしょうか。
何をするにしてもお金のかかる現代だから
『経済』というものが土台に来てしまうのではないでしょうか。
確かに
プロ奢ラレヤーさんのような価値観であれば、
生活にお金がかかることはないかもしれません。
しかし、
それはごく少数の方達で
多く人が現代において、
お金のかからないを生活を実践するのは現実的ではありません。
つまり
結果的にほとんどすべてのものごとは
『経済』のために判断されることになります。
ぼくの疑問
さてここで一つ、ぼくの中で違和感が生じました。
それは
目的と手段の逆転です。
本来『経済』は、人がよりよく生きるための手段であるはずです。
しかし
上でも述べたように
現代ではその手段である『経済』が生きる目的になっている気がします。
現在の外出自粛期間はそれが如実に出ています。
自粛を進めたはいいものの、
『経済』までストップしてしまうと人々の生活に支障が出てしまう
ということがわかったかと思います。
少し面白いですね。
昔であれば
ほとんどの人が自給自足の暮らしをしていて、
『経済』なんて概念はありませんでした。
そのため、
もちろん生きる上で『経済』が目的になることもありませんでした。
しかも
たとえ『経済』が存在したとしても、
現代ほど発展していなかったためか
このような逆転になることはなかったと思います。
(家を作るのにも食べ物を得るのにもお金はともかく、権利や許可なども無かったから、『経済』をほったらかしにしても生きていけたはずだから。)
こう考えると
昔のような自給自足の生活に戻した方がいいのではないかと
思う方もいらっしゃるかと思いますが、
ぼくはこれを「正すべき」とは言いません。
もうこの時代、
生きる上で必要な衣食住は、やはりお金がかかるわけで。
これだけ発展した『経済』が
目的になるのもしょうがないかと思います。
しかもそもそも
人がよりよく生きられるよう進化した形が現代のはずですし。
何度も繰り返しになりますが、
お金が全てではないし、
プロ奢さんのようにお金のかからない生き方ができるのも間違いありません。
しかし
あらゆるものごとがコンテンツ化し
日々成長を続ける現代の資本主義社会では、
お金はやはり必要不可欠になってきます。
かくして
現代では、ほとんどすべてのものごとを
『経済』を軸にして考えていて、
それゆえ
目的と手段が逆転しているということが言えると思います。