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鷹を産んだトンビだって辛い 子育ては奥が深い
「トンビが鷹を産む」とは平凡な親から優れた子が産まれること。
親から子へとDNAは受け継がれていくのだけれど、人としてのスケールはそれぞれに違う。それぞれ別人格。そして鏡のように自分の一部が映る。
その当たり前のことをお互いの一生をかけて知っていくのが子育てなのかもしれない。
親と同じ形で子どもは産まれる。
どんなにしわくちゃでお猿さんのようでも人の子は人。
だけど中身がどうなのか、育ってみなけりゃわからない。
そして人の子が育つには時間がかかる。
雀の群れの中に産まれた、容姿は雀だけど気質は鷲や鷹。
そんな親のスケールに合わない子どもの子育ては、あたふた・あたふたの繰り返し。
とりあえず、温めて、安全確保で、食べさせて、と頑張ってみても、雀の力じゃ及ばない。子どもが育っていくにつれ、子どもの世界は大きくなり、あれもさせたい、これもさせたいと思うけれども親が雀じゃ力不足。
子育ては、自分の力不足を顕現させてくれる。
何とか巣立だせ、世間に出してやるのが精いっぱい。
人間社会では、地縁血縁の庇護がある方が楽に生きていけるだろうに、とにかく「行ってこい!」と送り出すことしかできない。
ひたすら本人の力を信じるのみ。
「トンビが鷹を産んだ」というと、トンビが得したように聞こえる。
優れた子を産んだトンビは得をしただろうか?
「鷹」になるように育てるトンビはさぞ苦労しただろう。
「鷹」のスケールの子どもを「トンビ」にしないように。
子育てというと、乳幼児や学童支援などのように小さな子を想定しがち。
だけど人の成長はゆっくりで、幼いころに与えられたものが根付いて出てくるのは二十歳をとうに超えて30、人によっては40近くになるのかもしれない。
守り育てるべき我が子であるが、中身は全く別人格。
親にとって都合のいい「できのいい子」ではなく、子どもにとって生きやすい「子」に育てるのは難しい。
トンビも雀も鷹も、みんな頑張って子育てしている。
※ 抽象的ですいません。
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