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映画『CATS』を観た
CATS
■国内公開日:2020年1月24日
■キャスト
監督:トム・フーパー
出演:ジェームズ・コーデン、ジュディ・デンチ、ジェイソン・デルーロ、イドリス・エルバ、ジェニファー・ハドソン、イアン・マッケラン、テイラー・スウィフト、レベル・ウィルソン
■あらすじ
満月が輝く夜。ロンドンの片隅のゴミ捨て場。個性豊かな“ジェリクルキャッツ”が集まってくる。今宵は新しい人生を得ることが出来るたった一匹の猫が選ばれる特別な夜。一生に一度、一夜だけの舞踏会の幕が開く…。
■感想 ※若干のネタバレあり
目の前で展開される舞台作品を現実とするなら、カメラで撮影し様々な編集を加えた映画は虚構である、と言えると思います。
例えば黒子や場面転換、宙を舞うためのロープは、舞台であれば許されますが、それは観客含め「これは舞台だ」という共通認識=お約束が前提にあるから、そんなことにいちいち突っかかるような人が存在しないからです(そんな人は舞台鑑賞は不向きだと言わざるを得ない)。舞台という作品を成立させるにあたり、この前提の有無は非常に大きいです。
何が言いたいかというと、舞台(=現実)という前提で展開される作品の性格を、そっくりそのまま映画(=虚構)に落とし込んでどうするの、ということです。
息の合った歌と踊りも舞台で体感するから感動するのであって、映画で見せられても特段感動はもたらされません。いくらでもリテイク・編集ができてしまうからです。つまりライブでしか味わえない感動を録画でやろうとしてどうする、ということです。
特殊メイクについても同じことが言えます。舞台という前提があるから「猫を模しているのだな」と肯定できるのであって、映画で見せられても『自分を猫だと思い込んでいる狂人たち』という印象にしか繋がりません。この辺りが「ドラッギー」という批評に繋がっているのかな、とさえ感じました。
ストーリー(が存在したかはさておき)についても、劇中歌がことごとく好みでなかったこともあり、全く興味のないCDをひたすら聴かされているような苦痛がありました。台詞らしい台詞はなく、ひたすら歌が続くため、音楽が好みでないとひたすらに辛いと思います(これはミュージカル全般に言えますが)。
一方でラスト手前のジェニファー・ハドソンの絶唱は胸に迫るものがあり、夥しい苦痛の中で一筋の光明を見た思いにさせられました。あの歌唱だけでも一見の価値があるとさえ思うほど素晴らしかったです。
が、そんな唯一最後の余韻も束の間、「猫は犬ではない」「猫は馴れ馴れしいのは大嫌い」などという謎の上から目線による説法が展開され、もう何度目か分からない興醒めを迎えたまま呆気なく終了します。「猫に敬意を」がこの作品を通じての伝えたかったことなのでしょうか。それならご安心ください、本作を観るような人は大概が既に猫に敬意を払っていると思いますから。
長くなりましたが、本当に面白くなかったです。自分なりに面白くなかった理由を書き連ねたら長くなった、そんな感じです。あまりの酷評の量にかえって興味をそそられ鑑賞に至りましたが、それも納得の出来栄えでした。
なお今さらながら断っておきますが、本稿は映画キャッツへの感想であり、キャッツそのものの批評ではありません。きっとミュージカルの方は素晴らしいのだろうな、と思っています。
(同様の文章をfilmarksにも投稿しています)