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震災から10年…②
翌日になってニュースをちらっと見たときに津波が押し寄せたことを知りました。
町中に大きな船があったことや地面が水びだしになっていたこと。
そして、多くの方が行方不明になっていることも。
昨日、電話で話して無事だとは聞いているものの、とてつもなく不安になり、家に帰ることにしました。
電車が動いているかどうかの確認はせずに農大を飛び出しました。
8時頃に経堂駅に着きましたが、電車は普通に動いていました。
昨日のように人がごった返すこともなく、普段と変わらぬように家に帰ることができました。
家は崩れたりとかしてなくて、無事でした。
おかんはちょうど洗濯物を干していて、2階から見下ろされながら、対面しました。
無事だったのを確認しましたが、おとんには会えてませんので少しだけ心配しました。
僕は高校を卒業していて、4月からの行き先が北海道だったので準備に追われていました。
しかし、その日はずっと、テレビのニュースを見ていました。
泣き叫ぶ人、変わり果てた町、あとは原発の話題。
被害の大きさを金額で表すメディアにはびっくりしました。
まだ、何人の方が亡くなったという情報がなかったから?
2日くらい経つと原発がどうなるという話が多くなった気がします。
1週間くらい経つと高校の先輩が津波に飲まれて見つかっていない。
という話が耳に入ってきました。
そうか、、そうなのか。
被害の大きさや変わり果てた町、そして、幾人の方が亡くなったのだろう、今、避難をしている人たちは不安だよな。物資とか行くんだろうか。
自分ができるなりの心配はしていました。
それでも、津波に飲まれてという話は東日本大震災を自分事にさせざるを得ないことでした。
自分の知ってる人が、あの津波で亡くなっているのかもしれないのか。
結局、僕が北海道に行くまで、その方は見つかりませんでした。
北海道の専門学校に行くことになりまして、研修を受けていたのですが、6月に一通の手紙が来ました。
その方は結局見つからずに、お別れ会をするとのことでした。
研修中の身なので僕はこれに参加できませんでした。
海の日がその日だったので、その日の活動は喪章を付けてしていました。
その辺までが東日本大震災の記憶になります。