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東海道NOW&THEN 20 「府中」

江尻から府中まで2里27町。約11km。

 江尻を出て府中へ向かう。今の静岡。江尻の西木戸を出て、東海道は静岡鉄道に沿って進む。約1時間、草薙神社大鳥居跡を過ぎ、JR東海道線を横切る。その先に曲金十一面観音堂。その先が府中。

 広重の絵は、府中を西に出てすぐの安部川の渡しを描いている。向こうに見えるのは、賤機山。川を渡ろうとしている3人の女性。それぞれ肩車、蓮台、そして駕籠と3人3様の渡り方。同行の3人だとすると、その渡り方で身分の上下がわかる。見れば、緑の半纏を着たお供らしき男も肩車されている。川の向こうから来るのは大きな荷駄を背負った馬。そのころの東海道は川の渡しが重要だった。どのように渡るのか、それを思わせてくれる絵だ。
 写真は安倍川の府中側からの1枚。河川敷が広くて水際まで行かず。行けばよかったと、今さらながらに思う1枚です。

 曲金観音から少し行くと延命地蔵。そこがかつては府中の東見附だった場所。さらに進むと久能山東照宮の追分。参勤交代の大名は、久能山参拝のためここから久能山へ参ったのだとか。
 府中宿を西に出ると安倍川の渡し。そこには安倍川餅の元祖老舗「石部屋」がある。昔、徳川家康が通りかかったときに、きな粉をまぶした餅を「金な粉餅」と称して献上したところ、家康が「縁起がよい」と気に入り、その餅を「安倍川餅」と名付けたのだそうだ。石部屋では、店内で食べることもできる。

 この石部屋の前に石碑がふたつ。ひとつは由比正雪の慰霊碑。もうひとつは「安倍川の義夫の碑」。安倍川を渡った旅人が150両もの大金を落とした。それを川越人夫が拾い、旅人に返そうと追いかけた。旅人は金を落としたことに気づき、引き返してくる。人夫は宇津ノ谷峠で旅人に出会い金を渡した。安倍川から宇津ノ谷峠まで、川越人夫が追いかけた距離、なんと約10km。旅人は礼金を渡そうとしたが、人夫は「当たり前のことをしたまでだ」と受け取らず。旅人はその礼金を府中の町奉行に預け、事情を話す。町奉行は礼金を人夫に渡そうとしたが、人夫は受け取らない。そこで奉行は、その礼金ではなく奉行所から褒美の金を与えたという。う~ん、なんだか「三方一両損」に似た話。
 
 安倍川を渡ると、手越の高林寺が左に。古くから「手越の灸」として知られたお寺だそうだ。そこを過ぎると、次の宿・丸子の一里塚までは約2km。

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