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東海道NOW&THEN 25 「金谷」

島田から金谷まで1里。約3.9km。

 大井川を渡ると、「金谷宿川越し場跡」の看板と公園。その先、大井川鉄道の新金谷駅に機関車トーマスの看板。思い出した、大井川鉄道にはトーマスが走っていたのだ。次は孫を連れてこよう。大井川から金谷の本陣跡までは約20分。

 広重は、島田の「大井川駿岸」に続いて、金谷も「大井川遠岸」と大井川の渡しを描いている。川を渡り終えた人々が金谷宿に向かう姿を広重は描いたといわれている。その向こうの山裾に金谷宿、らしいのだが島田側から見ると中央奥に影のように描かれた黒い山は実在しない。広重の創造力。
 私が現地で撮った写真には川の向こうに山は存在している。ただし、私は金谷側・遠岸に渡って、広重の絵と逆から島田側・駿岸を撮ったのだ。私は何の予備知識も持たずに広重の絵だけを見て、似たような構図を探した。金谷側に渡り終えて、土手道を歩くと島田側に山が見える。これに違いないと撮影したのだが、帰宅後読んだ広重の画集によれば、広重は島田側から存在しない山を描いたのだという…。むむむ。

 金谷の宿場は特に見るものもなく、本陣・脇本陣・問屋場などの跡にある解説を横目に見て通り過ぎる。JR金谷駅の手前、金谷の一里塚を左へ折れ、東海道線のガードをくぐると道はゆっくりと上り始める。金谷宿の京口である西入口土橋を渡る。正しくは、不動橋。上りきると県道にぶつかる。それを横切ると右に「石畳茶屋」。ここから、金谷の石畳が始まる。箱根を思い出し、石畳に足を滑らせないようにと気を引き締める。すると、目の前に「すべらず地蔵」のお堂。きっと昔から石畳で転ぶ旅人が多かったに違いない。早速手を合わせた。すると、入れ替わりに小学生の女の子とその祖母らしきふたり連れが、地蔵に手を合わせている。「お姉ちゃんが合格しますように」と女の子。聞いた話では、最近は「すべらず」の名から合格祈願の受験生が多く訪れるのだとか。

 金谷の石畳を上りきると、右に諏訪原城址。武田勝頼の家臣が築いた城だが、徳川軍の攻めに落城したとある。その先からは、間の宿・菊川へ向けての下り「菊川坂」。見ると、「江戸時代後期の石畳」の看板。箱根の旧石畳のように不ぞろいでゴロゴロとした印象。転ばぬようにと、一層、気を引き締める。
 すべらず地蔵の御利益か、転ぶことなく無事に間の宿・菊川へ。金谷の石畳を上り始めて、ここまで約40分。

 菊川宿を抜けると「⇦小夜の中山」の案内表示。次の宿・日坂へ向けて、途中の難所・小夜の中山は目の前。菊川から日坂までは約5km。1時間半。

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