東海道NOW&THEN 38 「藤川」
赤坂から藤川まで2里9町。約8.8km。
長沢城跡から国道1号線に合流して40分ほどで、間の宿・本宿の江戸口にある冠木門。本宿は、もう岡崎市。そこから約1時間で藤川宿。
広重の絵の中央に描かれている棒示杭は「棒鼻」といい、宿場の出入口を示している。そこにさしかかる行列。黒と茶の馬が2頭、御幣を立ててその中心にいる。これは幕府から朝廷への献上馬で「八朔御馬献上」の行列とわかる。宿場の役人達が頭を下げて、その献上馬を出迎えている。一説によれば、広重は京で献上馬の儀式を絵に描くようにと命ぜられ、この行列に同行して京へ上ったといわれる。その道中で各宿場を下書きし、江戸に戻ってから仕上げたのだと。一方で、行列を離れて宿場をスケッチする時間などないはずと、この行列に同行したことを疑う説もある。
写真は、この絵に描かれた藤川宿の江戸口の棒鼻。広重の絵をもとに平成になって再現されたものだ。
国道1号線沿いに間の宿・本宿の江戸口の冠木門がある。そこから東海道は国道と分かれて宿場の中へ。すぐ左手に「法蔵寺」。徳川家の祖である松平家代々の墓があり、三方ヶ原戦死者の墓もある。幼少の家康お手習いの寺と伝えられ、江戸時代は門前下馬が決まりだった。参道口には「御草紙掛松」がある。家康の手習い紙を掛けたとされる松だ。東海道を歩く旅人には門前の茶店で売られていた「法蔵寺団子」で知られた寺でもあった。串に5つ刺した団子を炙り、溜まり醤油につけたもの。東海道筋の名物のひとつだったという。
法蔵寺から本宿を通り過ぎて、広重が描いた藤川の江戸口「東棒鼻」までは約1時間。その少し手前に「御開運御身隠山」の石碑、山中八幡宮だ。三河一向一揆の折、形勢不利となった家康が山腹の洞窟に逃げ隠れた。追手が近づくと洞窟から鳩が飛び出し、それで家康は難を逃れたと伝えられている。それ以降の出世から、山中八幡宮は「御開運御身隠山」として信仰を集めている。
棒鼻の先に桝形があり、そこから高札場・問屋場・本陣と続く。その中に「明星院」。本尊は、片目不動尊。家康が三河を平定したとされる扇子山の戦いのとき、家康の身代わりとなって敵の矢を片目に受けたと伝えられる不動尊。三河には家康にまつわる話がさすがに多く残されている、と感心。
西の棒鼻の手前には、芭蕉も句に詠んだ「むらさき麦の畑」が広がる。食用ではなく染料として重宝され「紺屋麦」と呼ばれたのだとか。
そこから家康が生まれた岡崎までは約1時間半。
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