東海道NOW&THEN 5 「保土ヶ谷」
神奈川から保土ヶ谷まで1里9町。約5km。
神奈川から保土ヶ谷へ、相鉄線天王町駅の少し手前に「江戸方見附跡」の看板。「見附」とは宿場への入り口。東は「江戸方見附」あるいは「東見附」、西は「上方見附」あるいは「京見附」。その間は「宿内」と呼ばれ、本陣やら脇本陣、問屋場などがある。保土ヶ谷宿は、東と西の見附の間は19町(約2km)。
江戸見附を越えると、広重が描いた「新町橋」。渡ったすぐ向こうには相模鉄道の天王町駅。新町橋あるいは大橋と呼ばれたこの橋、正しくは帷子(かたびら)橋。広重の絵に描かれているように一方に山があり、もう片方は平らかな田畑。そのため「かたひら」と呼ばれ、この橋の名になったという説もある。下を流れる帷子川はもともと駅の北側を流れていた。その流れを南側に付け替えたために橋の位置も、現在の場所に変わった。もともとの橋の位置は駅前にある公園あたりで、そこには碑が立てられている。
上方見附を抜け、JR保土ヶ谷駅を左に見て通り過ぎる。見附から約1kmで道は住宅街の中の急な上り坂に。「権太坂」だ。正月の箱根駅伝を見ている人ならわかると思いますが、平たんな国道1号線を走ってきた走者が初めて出会う上り坂。それは昔も同じで、江戸からの旅人にとって初めて味わう急峻な上り坂。リハビリウォーカーの私は休み休み息を切らせて坂を上りきると…、実は昔の旅人はここから遥か神奈川の海を見ることができ、上ってきた坂のつらさを忘れてその眺望を楽しんだそうだ。が、今は立ち並ぶ横浜の高層ビルに隠れて海は見えない。なんとも残念。見下ろすと国道1号線、箱根駅伝の権太坂が見える。
権太坂を下り、次の焼餅坂を下る。昔は切通しで旅人たちに餅を食わせる茶店が並んでいたそうだが、今はマンションの間を抜けて茶店はない。その坂を下り切ると、次の戸塚宿はもうすぐだ。
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