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東海道NOW&THEN 1 「日本橋」

 一昨年6月に腰を手術。そのリハビリを兼ねて旧東海道を歩きました。東海道を歩くなら、歌川広重の「東海道五十三次」、あの名画の現在やいかにそんなことを考え発見しながら週一ペースで歩き始め、1年がかりで昨年秋に京都・三条大橋にたどり着きました。そのレポートです。名付けて「東海道NOW&THEN」。スタートはもちろん「日本橋」から。

日本橋から次の宿場・品川まで2里。約8km。

日本橋・朝之景2

 ご承知のように日本橋は、昔の五街道の起点。北詰から中山道・日光街道・奥州街道、南詰から東海道と甲州街道(五街道のうち、日光・奥州・甲州は道中ともいうようです)。北詰(絵で言えば、橋を渡った向こう側)には魚河岸があり、そこで仕入れた魚屋が広重の絵には描かれています。南詰(橋の手前側)の左には高札板、道を挟んだその向かいには不義を犯した者や心中未遂者をさらし物にする場所があったのだとか。

 「お江戸日本橋 七つ立ち」という歌を覚えてますか?七つ立ち、季節によって正確な時刻は変わるらしいのですが、いずれにしても夜明け前のまだ暗いうち。その日の距離を稼ぐために、夜明け前に旅立つ。この歌の続きに「こちゃ高輪 夜明けて提灯消す」とあり、品川のすぐ手前で夜が明けたことがわかります。実際に私が歩いた感覚として、10月初旬とはいえ、まだ暑さが厳しく残っていたので3時間近くかかりました。当時の人たちは暗いうちに出発して、少しでも先へ進むつもりで早朝に品川を過ぎたのだろうと思います。ところで、日本橋から歩いてみると、新鮮な驚き(ちょっと大げさですが)。それは現在の銀座通りが東海道であるということ。銀座と東海道は頭の中では別物でしたが、日本橋から品川へ向かって歩き京橋を過ぎると、そこは銀座通りなのです。

日本橋

 日本橋へ足を運んだことのある人も多いと思います。橋の北詰に街灯のような鉄柱「東京市道路元標」があります。そのそばに大理石に埋め込まれた金属の丸い標示板「日本国道路元標」。実は、この丸い標示版は日本橋の道路の真ん中に埋め込まれています。北詰にあるのは、そのレプリカ。橋の北詰と南詰の中間地点、それだけではなく橋の両サイドからの中間地点、そうです、文字通り日本橋のど真ん中のセンターライン上に埋め込まれています。車道なので気づかない人が多いのですが、私は南北両詰の信号が同時に赤になり橋へ車がやってこないのを確認して、道路の真ん中に立ち写真を撮りました(危険ですから、良い子は決して真似をしないでくださいね)。日本全国どこからでも東京への距離は、この道路元標までの距離。レプリカのそばにいくつかの都市までの「里程標」があり、「京都市 五〇三粁」と書かれています。日本橋をスタートすると503㎞先に東海道のゴールの京都・三条大橋が待っているのです。

 それにしても、橋の上を覆っている首都高速はなんとかならないでしょうか…。うっとおしいよね。地下を通す計画が進行中で2040年に撤去・トンネル化が完成するのだとか。一日も早く橋の上の空を開放して欲しいとつくづく思った次第。

追記:歌川広重が亡くなるまでの最後の10年間を暮らしていた家は、現在の日本橋と京橋の間、東海道から1本入ったところにあります。

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